北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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坂道の歴史が分かる場所

2017-07-27 19:39:51 | 函館
8月になったら、「はこだて検定」絡みの活動で忙しくなるのだが、その関係で、また西部地区をぶらり歩きすることが多くなってきた。
その参考というわけではないのだけど、一昨年放送の「ブラタモリ」函館編を観返す機会も多くなっているので、ちょっと、放送中の行程を再現。





かつて、函館と青森を結ぶ航路の発着場として利用されていた、「東浜桟橋」。
1871年に出入港の場として定められ、本州から海を渡って函館に上陸した人達は、この場で北海道上陸の第一歩を踏んだということになります。
番組中では、この桟橋で、案内人さん(函館高専の奥平教授)が、タモリさんと桑子アナを出迎えていました。










番組中では紹介されなかったけど、桟橋の横にはこのような碑があります。
(空の青さから、桟橋の写真と違う日に撮ったのがバレバレ・・・)





桟橋から函館山方面に向かって一枚。
タモリさん達も、ここから函館山方面へ歩いていきました。





反対方へ向けて一枚。
番組中では、海水面の埋め立てにより、写真左の建物が海に向けて建て増しされていったことが紹介されていました。





個人的に、「はこだて検定」で、「東浜桟橋から真っ直ぐ進んだ先にある坂は何坂か?」という問題もあり得ると考えているのだけど、正解は、この「日和坂」です。





坂の下から桟橋に向けて一枚。





番組中では、この坂の下で、函館の地形に関する歴史が語られていました。





元々は、この坂の下辺りが海水面と陸地の境界になっており、「ブラタモリ」名物の一つとも言える「海食崖」であったことが語られていました。
陸地が波により浸食され、その後の気候変動により海水面の高さが上下し、また新たな波が陸地を浸食して・・・という過程を繰り返す中で、階段状の段差が形作られたのが黄色の線で記した斜面で、その後、薄茶色の緩やかな坂として整備されていったものです。

日和坂を含む西部地区一帯は、1878年~79年の大火後の街区形成によって整備されたもので、かつては幅が狭く曲がっていたために、一たび火事に見舞われると、すぐに道路を挟んだ向かい側まで類焼してしまうことが多かったのが、この時期の街区整備により、直線で幅が広く整備されたということも、番組中で触れられていました。

現在、坂道として整備されているのは薄茶色の線だけど、黄色い線の箇所も、狭いながら歩いて登って行けるようになっており、番組中では、タモリさん達も、坂道ではなくここを登って上を目指していました。





斜面を登りきった所から一枚。
実際に登ってみると、結構急でした。
「はこだて検定」では、地形に関する問題も出題されるので、番組中で語られた歴史についても、問題として出題される可能性は大いにあると思っています。
(学生時代の得意不得意がそのまま表れているのか、私にとっては苦手分野なのだけど・・・。)
コメント
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