札幌市北区に、「屯田」という行政地名があります。
北海道で「屯田」というと、開拓に当たった「屯田兵」が真っ先に思い浮かびますが、北海道最初の屯田兵村が設置されたのは、私の地元でもある西区琴似で、このエリアとは結構離れています。
そんな「屯田」エリアの一角にある広場。
何やら沢山の像や碑がありますよ。
「屯田開拓顕彰広場」。
明治22年(1889年)、この周辺に、7県(現在の熊本・福岡・山口・徳島・和歌山・福井・石川)220戸、1056人が入植して開かれた「篠路屯田兵村」における開拓の歴史を今に伝える目的で整備された広場です。
歩道上に、この広場に関するデザインブロックが設置されています。
丸数字は、北区が制定している「北区歴史と文化の八十八選」の通し番号です。
この碑のとおり、開拓を押し進める拠点となった、「第一団体第四中隊」の本部がこの地にありました。
当時、兵士の募集に当たっては、各県の新聞が告知をして、まるで受験のように、志願状況や、果ては合格発表まで報じられていたそうです。
ちょっと読み取りにくいですが、これは、篠路兵村の開拓碑。
開基40周年の記念に設置されています。
「水田開発記念碑」。
現在は住宅地として大きく発展していますが、農地として開墾されていた時期に、経済を立て直すべく水田開発が進められて45年になる昭和33年(1958年)に設置されています。
そして、この地に入植した屯田兵の功績を称える「屯田兵顕彰の像」。
開基100周年を記念して設立されたものです。
この地に入植した屯田兵の足跡が記されています。
最後は、兵士と共に農耕に活躍した馬魂の慰霊碑。
一面の原野だった土地を開拓し、現在に繋がる礎を築いた屯田兵達。「想像を絶する苦労」という表現を安易に用いてはいけないかもしれませんが、その苦労に思いを馳せることは大事なことだと思います。