双葉町が抱える困難について
全体避難を余儀なくされた双葉町では、行政機能を埼玉県に移したわけだが、そこでもたくさんの困難に直面しているようだ。
なんといっても市町村という地方自治体は、本来そこに住んでいる地域に根ざしたものだ。
地縁的な結合を失ってしまうと、広報一つとっても不便になる。
第一、同じ地域に寝起きして同じ空気を吸っているという共有感覚を失い、それぞれがバラバラになりながら、町という共同体を保つのは容易なことではないだろう。
双葉町長は、町の機能を埼玉県に移した大きな理由の一つに、雇用問題を挙げていた。
確かに、今まで双葉町の雇用を様々な側面で支えていた原発がこんな状況になった以上、地元に帰る算段ばかりをしていても、町民の失われた雇用を確保することは絶望的といっていい。だから、町長の選択には一理ある。
しかし一方、土地に根ざし、地理的空間を共有する姿勢あってこその町ではないか、自分たちの町に戻ることを一義に考えなければ、中長期的には町の存続さえかなわないのでは?という危惧もまた、当然のことであろう。
新聞によれば、自力避難した人が、行政サービスを受ける上でさまざまな不利益を受けている、とも報道されていた。
自然・土地・家・地縁・血縁・友人・親戚・ご近所・雇用・スーパーの商圏・学校・行政などなどどさまざまな「共同体」が多層の網の目となって、人々の生活を支えてきたに違いない。
スーパーマーケット一つとっても、なじみの棚の品揃えが分からなくなると、買い物一つでさえ不便になる。
通い慣れた道、職場の同僚、飲み屋のママさん・マスターとの会話、学校の友人、部活の仲間、釣り友達……。
人間関係だって、数え切れないほどの側面がある。
そういうものの多くが、いったん土地を離れてしまうと、時間を経過すればするほど失われていくに違いない。
さらに、20キロ圏内の警戒区域では、明日から罰則を伴った立ち入り制限が実施されるという。
自分の家にも帰れなくなるわけだ。安全を考えればやむを得ない措置ではあるのだろうが、決定的に「失ってしまった」という思いはさらに募るだろう。
共同体がどんな次元・水準で保持されているのか、を考えると、グルグルするほど難しい。
地理的空間の共有。歴史的時間の共有。土地に根ざした言葉(方言)の共有、同じ学校の生徒・卒業生・PTAというつながり、職場での人間関係、会社と会社の取引関係、日々の買い物をするお店と消費者、そういったさまざまなものを、原発事故は生活の基盤ごと根こそぎ奪ってしまったわけだ。
荒唐無稽に思われるかもしれないが、この際、町民全員に専用メールアドレスを配布し(携帯がない人には配布し)、バーチャルな行政機能を立ち上げてはどうなんだろう。
もちろん国庫補助をしながら、ね。
教育だって、功罪いろいろあるだろうけれど、学校なんて旧態依然としたインフラにたよらず、タブレット端末でも配って、どこでもできる授業とかサテライトでやったらどうなのか。
住むところがどこであっても、行政は、居住できなくなった双葉町を、いつか再び住むことができる「奪還」の場所と位置づけ、その実現に向けて日本全国に散在する町民を、ネットワーク上で結びつけ、連帯を保っていく、なんてことは、できないんだろうか、と思う。
やっぱり荒唐無稽で、かつそんなことでは「町」っていうのは保てないんですかね?
でも、現実に土地を失った地方自治体の行政っていうのは、好むと好まざるとに関わらず、「バーチャル自治体」になってしまっているのではないかしらん。
ことの当否ではなく、現実にそうなっているのなら、埼玉県にい集まった町民だけを「町民」として集わせるのではなく、バーチャルな形ではあっても、全町民を統合するネットワークシステムを構築する価値、すくなくてもそれを試みていく価値はあるんじゃないかしら。
その上で町に戻ることができたら、とっても充実したサービスに発展していけると思うけれど。
全体避難を余儀なくされた双葉町では、行政機能を埼玉県に移したわけだが、そこでもたくさんの困難に直面しているようだ。
なんといっても市町村という地方自治体は、本来そこに住んでいる地域に根ざしたものだ。
地縁的な結合を失ってしまうと、広報一つとっても不便になる。
第一、同じ地域に寝起きして同じ空気を吸っているという共有感覚を失い、それぞれがバラバラになりながら、町という共同体を保つのは容易なことではないだろう。
双葉町長は、町の機能を埼玉県に移した大きな理由の一つに、雇用問題を挙げていた。
確かに、今まで双葉町の雇用を様々な側面で支えていた原発がこんな状況になった以上、地元に帰る算段ばかりをしていても、町民の失われた雇用を確保することは絶望的といっていい。だから、町長の選択には一理ある。
しかし一方、土地に根ざし、地理的空間を共有する姿勢あってこその町ではないか、自分たちの町に戻ることを一義に考えなければ、中長期的には町の存続さえかなわないのでは?という危惧もまた、当然のことであろう。
新聞によれば、自力避難した人が、行政サービスを受ける上でさまざまな不利益を受けている、とも報道されていた。
自然・土地・家・地縁・血縁・友人・親戚・ご近所・雇用・スーパーの商圏・学校・行政などなどどさまざまな「共同体」が多層の網の目となって、人々の生活を支えてきたに違いない。
スーパーマーケット一つとっても、なじみの棚の品揃えが分からなくなると、買い物一つでさえ不便になる。
通い慣れた道、職場の同僚、飲み屋のママさん・マスターとの会話、学校の友人、部活の仲間、釣り友達……。
人間関係だって、数え切れないほどの側面がある。
そういうものの多くが、いったん土地を離れてしまうと、時間を経過すればするほど失われていくに違いない。
さらに、20キロ圏内の警戒区域では、明日から罰則を伴った立ち入り制限が実施されるという。
自分の家にも帰れなくなるわけだ。安全を考えればやむを得ない措置ではあるのだろうが、決定的に「失ってしまった」という思いはさらに募るだろう。
共同体がどんな次元・水準で保持されているのか、を考えると、グルグルするほど難しい。
地理的空間の共有。歴史的時間の共有。土地に根ざした言葉(方言)の共有、同じ学校の生徒・卒業生・PTAというつながり、職場での人間関係、会社と会社の取引関係、日々の買い物をするお店と消費者、そういったさまざまなものを、原発事故は生活の基盤ごと根こそぎ奪ってしまったわけだ。
荒唐無稽に思われるかもしれないが、この際、町民全員に専用メールアドレスを配布し(携帯がない人には配布し)、バーチャルな行政機能を立ち上げてはどうなんだろう。
もちろん国庫補助をしながら、ね。
教育だって、功罪いろいろあるだろうけれど、学校なんて旧態依然としたインフラにたよらず、タブレット端末でも配って、どこでもできる授業とかサテライトでやったらどうなのか。
住むところがどこであっても、行政は、居住できなくなった双葉町を、いつか再び住むことができる「奪還」の場所と位置づけ、その実現に向けて日本全国に散在する町民を、ネットワーク上で結びつけ、連帯を保っていく、なんてことは、できないんだろうか、と思う。
やっぱり荒唐無稽で、かつそんなことでは「町」っていうのは保てないんですかね?
でも、現実に土地を失った地方自治体の行政っていうのは、好むと好まざるとに関わらず、「バーチャル自治体」になってしまっているのではないかしらん。
ことの当否ではなく、現実にそうなっているのなら、埼玉県にい集まった町民だけを「町民」として集わせるのではなく、バーチャルな形ではあっても、全町民を統合するネットワークシステムを構築する価値、すくなくてもそれを試みていく価値はあるんじゃないかしら。
その上で町に戻ることができたら、とっても充実したサービスに発展していけると思うけれど。