米オバマ大統領・キューバカストロ議長の両首脳が昨年12月の国交正常化交渉開始を受けて59年ぶりに会談です。首脳会談は約1時間、会場内の小部屋で行われた。オバマ大統領は会談冒頭、カストロ議長に「これは明らかに歴史的な会談だ」と語り掛け、「われわれはページをめくり、新たな関係を築くことが可能だ」と表明した。その上で「(キューバの)民主主義と人権に関する懸念に関し、声を上げ続ける」と強調した。 カストロ議長は、キューバの改革を含め、あらゆるテーマを米国と議論するが、忍耐も必要だと述べた。また、「両国の意見が異なる幾つかの事柄は、やがて同意できるだろう」と語った。今後は最大の争点米国のキューバに対する経済制裁が解除できるのか、キューバが政治的民主化が出来るのかが争点です。キューバの人件費は極端に安く米国企業や観光客が大挙押しかけることが予想されます。日本のプロ野球でプレーしているキューバ野球選手も大リーガーに引き抜かれるかもしれません。
キューバのこれまで 以下コピー キューバはラテンアメリカ地域のなかでは比較的長期間スペインの植民地でしたが、1898年、アメリカとスペインとの戦争(米西戦争)を経て、1902年キューバの独立が承認されました。
とはいえ、キューバは事実上アメリカの保護国のような状態となり、1950年代にはバティスタという親米独裁者の政権ができ、独裁とアメリカ資本の支配に対し、人々の不満は高まっていました。
これに対し反旗を翻したのがカストロ率いる革命軍でした。1959年、革命軍にバティスタ政権は打倒され、カストロを首相とする新政権が誕生しました。その後、カストロは反米主義と同時に共産主義をかかげ、ついこのあいだまでキューバのリーダーであり続けたわけです。
1961年、ときのケネディ大統領はキューバに対し軍事作戦を密かに計画、実行します。これがピッグス湾事件というものですが、大失敗に終わってしまいます。これ以降、キューバとアメリカとの関係はさらに悪化しました。
その翌年、キューバと親しくなったソ連がアメリカを標準としたミサイル基地を作ろうとして一触即発の危機(キューバ危機)となり、ケネディ政権は海上封鎖を行いソ連の計画を断念させましたが、この自信がベトナム戦争に駆り立てていったともいわれています。
そんなキューバには今でもアメリカの基地があります。グアンタナモ基地のことで、アル・カーイダの容疑者らが拘束されたことでも知られています。
キューバがアメリカの保護国状態だったころ、グアンタナモ湾をアメリカに提供することが取り決められていたのです。そのため、アメリカが最も嫌う国・キューバのなかに、アメリカにとって最も重要な軍事拠点が存在しているのです。
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