神皇正統記の後宇多天皇の記述「第九十代、第四十八世、後宇多院。諱は世仁、亀山の太子。御母皇后藤原の僖子〈後に京極院と申す〉、左大臣実雄の女なり。甲戌の年即位、乙亥改元。丙子の年、唐土の宋の幼帝徳祐二年に当たる。ことし、北狄の種、蒙古起こりて元国と云ひしが宋の国を滅ぼす〈金国起こりにしより宋は東南の杭州に移りて百五十年になれり。蒙古起りて、先づ金国をあはせ、後に江を渡りて宋を攻めしが、ことし遂に滅ぼ . . . 本文を読む
「学人、道心なくとも、良き人に近づき、善縁にあって、同じ事をいくたびも聞き見るべきなり。」(正法眼蔵随聞記)道元禅師は私のようなすぐに退転してしまうような愚人を見抜いておられてこうおしゃっているようです。確かに「良き人」のご縁を得て「同じ事をいくたびも聞き見る」ということは素晴らしい励ましとなります。徳分がなくて良き人のご縁が出来なくても「同じ事をいくたびも聞き見る」ことにより時々思わざる深い境地 . . . 本文を読む
密教大辞典には「後宇多法王・・人王第九十一代。御名世仁。法諱金剛性。世に大覚寺法皇と号す。亀山天皇第二皇子。
弘安四年1281蒙古入寇するや亀山天皇とともに宸襟を悩ましたまふこと深く、閏七月伊勢大廟へ御使いを立て、御身を以て国難に代らむことを祈らせたまふ(弘安の御願https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s& . . . 本文を読む