少しだるくてぶらぶらしてる。
ぐずついた雨が続いてたが秋の雲もきれいだ。
稲刈りもだいぶ進んだ。
毎日種蒔きの日々だった。
ハノイは毎日どしゃ降り、雷が大歓迎。
いつもはてくてく歩きまわるのに移動はすべてタクシー貸切。
ホーチミンミュージアム、戦争博物館。
心が折れそうな気分になるところもあった。
戦争博物館では日本人だとわかると大きな模型を使ったフランス軍との勝利作戦を見せてくれた。
日本が敗戦になって撤退した後再び植民地化を進めるフランス軍との戦いだ。
確か多くの残った日本人もフランスと戦ったように記憶している。
だからアメリカと戦った同じ国と思ってる。
戦争はだめといいっておきながらそんなところはちょっと惹かれてる。
小松さんに会って改めて彼女の凄さがわかった。
ベトナムのに行く前はシベリア鉄道でヨーロッパに行きイタリアに住んでた時もあると聞いた。
とてもそのころは外国に行くなどとは考えられない日々だった。
ベトナムに行って住んでる頃、なんと電波少年が小松さんのところにやってきたらしい。
何か芸術作品みたいなビル。
人々の熱気。
大きな市場の中に大きな食堂。
ビールを探しに行ったら昼食が始まりかけてた。
大皿に盛られたバイキング。
小額紙幣を無造作につかみ、食中毒を警戒しながら皿もりした。
大きな豚の角煮も載せて札束からお金を抜いてと出したらみんな取られた。
そして角煮も。
それ欲しいと言ったら断られてしまった。
きっと札はいっぱいあったが100円ぐらいしかなかったのだろう。
それよりもっと少なかったかもしれない。
みんなが気持ち悪がって誰も手を出さない。
結構おいしかった。
ほかのお客さんを見ると匂いをかいで選んでた。
約束の時間に市場の前で待ってたがタクシーがやってこない。
降りるたびにチップを渡す上客を放すわけはないと思いながらも少し不安。
空港からの添乗員が言った言葉に混むと車が走らなくなると聞いてらからもう少し待つことに。
それからデパートにお土産買いに行った。
なんとお昼休みで入れない。
さすが社会主義国。
お昼が終わるまで足の痛い年寄りは八百屋の前で時間つぶし。
巨峰はないだろうとお土産したのにもっと立派なブドウが山積み。
ライチがあったので値切って買った。
値切りすぎて悪いから少し返そうかと言ったらいいよと言われた。
ほんとはもっと安く買えたのかもしれない。
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いけなかった人たちも呼んでよかったことを伝えました。
なんで突然行くんだと非難ごうごうでした。
また行くからということで終会。
またご迷惑をかけに伺います。
よろしくお願いいたします。