「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

真の甦生

2009年03月03日 19時55分32秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

(11/13)

「 悪い時は 全てが悪い。

 やっとうまく いきそうになっても、 僅かな偶然で だめになる。

 よい時は 全てがよい。

 うまくいきかけたことが やっぱりだめになりそうになっても、

 偶然が重なって うまくいく。

 去年も、 今年も、 事態が好転しかけたとき、

 これでうまくいく、 これで立ち直れると思った。

 いや、 必死で思おうとした。

 今思えば、 それは 懸命なやせ我慢だった。

 上向いてきたと 自分に言い聞かせ、 一生懸命 自分をだましていたのだ。

 我ながら何という けな気さだったのだろう。

 今は、 今は 本当に立ち直った。

 この嬉しさは本物だ。

 ああ、 生きていて本当によかった。

 これが人生というものか。

 魂が正しければ、 心が誠実ならば、 それは いつか必ず実を結ぶ。

 人にも通じる……。

 自分で 思い込んだものではない。

 他人を説得させずには 耐えられないものではない。

 ただ 自ら嬉しいのだ。

 誰にも納得させなくとも、 ただ自ら嬉しいのだ。

 自分を確信するのだ。

 人に理解されないということが、

 分かってもらいたい人に 拒絶されるということが、

 一体どれだけの力を 僕から奪っていたのだろう。

 どれだけ僕を 卑しくしていたことだろう。

 人に受け入れられるということが、 人に伝えられるということが、

 今 どれだけ大きな力を 僕に与えてくれることか。

 どれだけ活気づけていることか。

 僕はいずれまた 失敗するだろう。

 また どん底に落ち込むだろう。

 はっ!!  そしたらまた 立ち直るさ!! 」

( '85.3/7)

「 人間は、 不幸である時、 苦しい時に、

 いかに多くのものを 身につけていくことか。

 どん底にある最中には、 全てがうまくいかない。

 全てが分からない。

 しかし そうしてあがきながら、 誰も気付かないうちに、

 人はいかに 豊かになっていくことか。

 正常ならば 気付かないようなことを、 感じないようなことを、

 苦しい時には 敏感につかみ取る。

 苦しみから這い上がった時、 それは誰にも分からない形で 必ず実を結ぶ。

 人は、 苦しいときほど 豊かである。 」

(次の記事に続く)
 
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