「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

畠山被告に無期懲役判決 (1)

2009年03月26日 00時14分08秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
(前の記事からの続き)

 秋田児童連続殺害事件の控訴審、

 仙台高裁秋田支部で 一審と同様、 無期懲役の判決が下されました。

 畠山被告が彩香ちゃんを 橋の欄干に乗せ、

 恐がって抱きついてきた 彩香ちゃんを突き落としたという、

 一審の事実認定が そのまま踏襲されました。

 解離性健忘を起こして、 事件 (事故) 当時の

 記憶がないという 精神鑑定は採用されませんでした。

 真実は 今の僕の立場では 分かりませんが、

 解離性健忘が 充分検討されなかったことは、

 とても 腑に落ちないものがあります。

 検察は 健忘など信じがたいと 述べていますが、

 健忘は 容易に起こるものだということが、

 なかなか理解されないのでしょうか。

 一審では、 豪憲くんを殺害した時点で、

 彩香ちゃん殺害の記憶が はっきりしていなかった、

 ということを認定しています。

 僕からすると、 今回は 後退してしまった判決である 感があります。

 控訴審では、 彩香ちゃんが落ちたあと 助けようともせずに帰ったのは、

 明白な殺意があったからだ としていますが、 それこそが正に、

 記憶をなくしていた (解離していた)  証であるとも言えます。

 また、 彩香ちゃんは事故死だという 警察の当初の見解に対して、

 畠山被告は事件だと 主張したことなどについても、

 控訴審では 疑問が残ります。

 しかし、 被告が事件 (事故) 時の 記憶を失っているとすると、

 説明がつきます。

 被告は 彩香ちゃんが行方不明になったと 信じているので、

 事件 (事故) 直後に 近所に聞いて回ったり、

 警察に事件としての 捜索を訴え、 ビラ配りまでしたわけです。

( 彩香ちゃんの死の状況に 不審な点があるので、

 事故ではなく 事件だと主張したようです。 )

 控訴審は 豪憲くん殺害の動機を、

 被告が捜査の矛先を 紛らわすためだとしました。

 しかし一審では、 自分の子どもがいなくなったのに、

 豪憲くんが元気でいるのを 妬ましく思ったとしています。

 彩香ちゃんが亡くなった時の 記憶がないことと合致します。

(次の記事に続く)
 
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