「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「心のネットワーク」 (4)

2009年03月15日 15時14分01秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

「それは、 アメリカで進んでいる

 『臨死体験』 の研究によっても 裏打ちされるだろう。

 臨死体験をした人達は その大半が、 死に対する 恐怖がなくなり、

 死後の生命を確信し、 限りなく自分が受容され、

 絶対的な存在との一体感、 筆舌に尽くしがたい 安らぎを得るという。

 それは、 『あるもの』 による 究極の 『癒し』 なのだろうと 僕は思う。

 僕には 肉体的な臨死体験はないが、

 精神的死に瀕していた 体験を通して 絶対的なものと邂逅した。

 これも臨死体験に通ずる 証左であると思っている。

 また 臨死体験者は、 無条件の愛、 人類同胞意識、

 思いやりや寛容というものの 価値を見いだし、

 その後の人生観が 一変するという。

 自分の存在が 全面的に抱かれていると 感じられたとき、

 自らもまた 他のために奉ずることが できるのかもしれない。

 全ての人間は、 『あるもの』 の許で 受け入れ合い、

 支え合っている存在である。

 自ら生きるとともに、 互いに生かされ合っている。

 他者に臓器を 提供するという価値観も、 ここに通じてくるのだと言える。

 『私の命』 と 『あなたの命』 は 同じひとつのものである。

 その死生観のうえにこそ 移植は成り立つだろう。

 ひとりの命は 万人に与かっているし、

 万人の命もまた 一人に与かっているのである。」


 かつての僕は、 理想ばかりが怪物的に巨大で、 その結果 精神的に破滅し、

 それまでの自分の 信念も希望も 全てを失ったのでした。

 でも その泥沼から這い上がり、

 再び零から 価値観を築いていくことができました。

 今の僕は、 現実と自分の 限界も受け入れ、

 しかし 決して妥協することなく、

 時間をかけて じっくりやっていかなければならないと 思っています。

(以上)
 
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