「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

個人としての境界を明らかにすること (1)

2013年01月30日 22時31分19秒 | 「境界性パーソナリティ障害=BPD」より
 
 境界は、 あなたが何者なのか, 何を信じているのか,

 人にどう接し, 人からどう扱われたいかを 意味付けるものです。

 健全な境界は 柔らかいプラスティックのように、 ある程度の融通性があります。

 曲げることはできますが、 壊れることはありません。

 しなやかすぎると、 違反や侵入が起こりやすく、

 自分自身を見失ってしまうかもしれません。

 逆に 硬直していると、 周りからは 近寄りがたく思われるでしょう。

 自身の感情に対しても 鎧のように働き、

 悲しみや怒り, 幸福感などにも 気付けなくなるかもしれません。

 境界を設けるということは、 何が起ころうと 自分自身を大切にすることです。

 自分が自分であるための 権利の意識から生じるものです。

 自分自身に価値を置き、 自分を信じ、 自分の心の声を 聞けるようになった時、

 姿を現します。

 何を必要とし、 何が好きで、 何が嫌いかが大切だという 確信の中から、

 境界は自然と現れてくるのです。

 それは、 人をコントロールしたりするものではありません。

 例えば、 詮索好きな人の質問を やめさせることはできませんが、

 それに答えるかどうかを 決めることができます。

 大切なのは、 自分に選択の自由があると 感じていることです。

○ 感情的境界

 感情的境界は、 どこまでがあなたの感情で、 どこからが他人の感情なのか

 線引きするものです。

 傷つきやすくなっている時には 感情を保護し、

 人に安心感を感じている時は 気持ちを交流させてくれます。

 「ノー」 と言える 権利があれば、 感情的境界はしっかりとしてきます。

 「イエス」 と言える 自由があれば、 感情を尊重し、 違いを受け入れ、

 表現を許せるようになります。

(次の記事に続く)

〔 「境界性パーソナリティ障害=BPD」 第2版 (星和書店) より〕
 
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