ネタは降る星の如く

とりとめもなく、2匹の愛猫(黒・勘九郎と黒白・七之助)やレシピなど日々の暮らしのあれこれを呟くブログ

自宅療養というより自宅軟禁労働……(汗)

2007-06-06 17:48:07 | 肺炎闘病記
 先ほどやっと、金曜日の会議に必要な全書類が揃って、月曜日から入院でなく選んだ自宅療養とは建て前と紙一重の(まぁ、近所の医院で一日一本抗生剤入りの点滴を打ってもらっているからねね、実際……)自宅SOHO化。意識と体力が持たなくて倒れ込むように昼寝をしたのは月曜日だけで、後は点滴打ってもらったら夜までネット経由で会社の回線とつないで、必要に応じて上司と電話して、ひたすら資料の編集……昨日辺りから自宅にいるという気すらしていない(苦笑)。日常と違うのは通勤時間がないことと、基本的に携帯の会話だけで会議がないことぐらいで、仕事の内容は普段の日常よりハードなSOHO労働者になっていた。

 並行してこの7日間、いったい自分に何が起こったのかということを簡単にまとめようとしているのだが、自宅療養と称してこれほど心身共に振幅の激しい一週間を過ごしたのは人生で初めてかも知れない。

 自宅なのに、監禁された囚人のような精神体験までしてしまった(照)。今の心境は今朝の記述の延長上にあるのだが、月曜日に一旦エキサイトし、火曜水曜はその人とのメール合戦。内幕を言えば、実は長いメールを冷静に読む体力も精神力もなく、最初に来た依頼のいくつかのキーワードが過去のトラウマを無意識に刺激して、パニック状態になった。

 今日落ち着いて上司に告白したが、さすが私の上司を10年もやっているだけあって、月曜からの私の過剰反応がどこに由来するものだったのかから、私が(錯乱状態とは言わないまでも)おかしくなったのは彼女と仕事を初めてやった時のどういう心理状態だったかを一方の当事者である彼女に、すでに昨日説明していた。私が正気に戻った以上は顔を突き合わせて冷静に関係修復できるだろうと適当に突き放してくれた。だから、この上司には頭が上がらない。

 しかし、診療所が休診日であるだけ、今日は横になって寝られそうと思っていたのに、資料送付が終わったのは先ほど……脱力。

 ただ、気が付けば体温は36.6度までは下がってきている。喉を切るような痰のからむ咳が時々止まらないのが閉口だが、これも肺にたまった痰を出す段階になったということ。

 月曜日は、資料を完成させて送ったら、職場復帰の許可をもらって金曜日の会議に記録係として出席することが肺炎治療のための目標になっていた。

 今日は、はぁ、待った挙げ句(同僚の一部が借金の取り立てよろしく原稿の回収に当たったのだが)提出を求められている組織の資料は奇跡的に全部集まった。それをメールで受け取る私は、締め切り間際にアパートに缶詰めになっているマンガ家よろしく、会議資料に一本化し、資料は完璧に揃った。

 今は新しい地平線が広がった違う大地の局面を見ている気分。無理に最終目的地に着かなくてもいいじゃないか、ろくに眠れなかった心の重しも取れたのだし、ここずっと38度台の体温ですっかり煮えてしまった脳と神経の修復だって必要だ。今日はもう、36度台まで戻ったので、ちゃんとお風呂に入って(高熱が続いていた時は、一日おきに体力を見てシャワー……)から、ゆっくり寝たい。

不眠明けに文字通り涙が止まらない

2007-06-06 06:22:49 | 肺炎闘病記
 38度を超える熱を発した状態で、土曜日からかれこれ4日の晩を越えようとしている。

 土曜日日曜日は熱と咳で眠りにつけなかった。

 月曜日は寝る前に社内の他部署の協力依頼メールを受け、そのまま判断を保留しておけばいいものを、感情をコントロールできなくなった。内容をろくに読んでもいないのに、きついメールを返していた。しかも追伸付きで。
 その日は、肺炎と診断されてともかくショックだったのと、咳と熱で体力が消耗しきっていたことで、何日にもわたる高温状態による精神のハイ状態も重なり、抗生剤の点滴と服薬が症状を抑えはじめたせいで、とりあえず、昼寝はぐっすり寝られた。しかし、一時間おきに目が冴えるという、体力的には決して睡眠ともいえない状態。サンプル品でもらったトマト由来の健康睡眠促進ドリンクを飲んだが、まったく効かなかった。

 火曜日はまた点滴を受けて身体の元気を少し取り戻し、昼過ぎから宿題になっていた金曜日の会議資料をつくり始めた。まだ熱は38度ある。
 前日攻撃的な返答を出してきた女性の同僚からの手紙、精神的にも気力的にも全部読むことができず、しかしお互いの休み明けに冷静に話し合おうという約束をしつつも、私はどうしても「協力」の依頼にまつわる数ヶ月前のイベントの話に戻さねばならない、と書かずにはいられなかった。
 会議に必要な資料は夜のうちに調い、すでに上司に送った。明日病院は休診、点滴はないが一日横になって疲れを取り、木曜日の3回目の点滴で職務復帰完了を目指していた。
 しかし、今日も夜の時間のうち半分、寝ていたかどうか。

 明け方になって、身体の異変に気づいて体温を測ったら今までで一番高い39.2度まで上がっていた。金曜日の会議の代理もすでに立ててもらっているのだし、もういいではないか……。

 突然、今週私が、その女性同僚からのメールの協力要請に、なぜ通常の精神状態でいられなかったか、閃いた。

 彼女の依頼で協力を始めたそのイベント、イベント自体は成功だったと思う。しかし、私が類似の経験を買われて彼女に「協力」することになったのだが、自分が本来「協力」できるところは、その回のイベントでは組織責任者とコンサルタントの間で全部取り決められ、自分はイベント見学と夕食会の余興の一部手伝いという役どころで、その場にいた。彼女からのメールの「協力」という言葉に、自分の内心の呵責「お前は何の価値を提供するためにそのイベントに参加したのだ」が、明け方、何筋もの涙になって氷解した。

 彼女を一方的に傷つけた悔いは残っている。だが、自分を縛っていた感情が解放されて、止まらない。

 朝になったら上司に会議資料を見てもらった後に、来週明けに出社した後に上司による事情聞き取りと必要に応じての処罰、彼女への陳謝の仲介依頼を頼む決心がついた。

 自分のしたことの始末はつけなければならない。自分の感情をコントロール不能状態にする一種の催眠ワードの組み合わせがわかったので、肺炎から全快した後に後始末をつける勇気を得られた。

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 そして、実は、月曜日午前中、ネット上でも自分の書き込みが相手を不快にさせているのではないかと疑われる形跡があった。

 いつもならまめに返信メッセージを送ってくれる相手が、返事も、その後の私の肺炎関連の報告にもまったく言及がない。

 一日遅れの誕生日メッセージも書き込んでいたが、なぜ遅れたか、自分の体調がどうか、文章として支離滅裂だった。文章にうるさい友人が、読んで心地よく思うわけがないではないか、という疑いが持ち上がった。

 ここにこっそり報告しておく。上記の事件と平行して、火曜日から水曜日にかけて、まず、月曜日以後の記事を削除した。昨日、月曜日の記事を編集し、病気による自宅療養宣言をして、引っ込んだ。

 職場での筆禍事件と平行して起きており、精神的肉体的にアップダウンが激しく、友人を知らずに傷つけていたのなら、肉体的にも精神的にもまず安定してから、ことの始末をつけたかったからだ。

 しかし、上記の筆禍メールで自分の心の鎖がひとつ解け、ぼろぼろと泣いていた時に、巡回しているネット某所で、その友人からの伝言を発見した。

 ……神か何の巡り合わせなのかはわかりませんが、このタイミングに感謝します。この心身状態で、自分はまだ、その大事な友人を失っていなかったのです。

 ……別の意味の涙が流れ流れて、もう1時間になります。自分をこの不眠に縛り付けているものは、このふたつだったのですね。

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 感情が落ち着いたら、一度シャワーを浴びて、一度横になってから、上司と仕事の打ち合わせをします(もちろん、何らかの調べと注意なり譴責なり二度としない誓いなり、必要なことはすべて。そして、彼女への謝罪仲介依頼。今日、了解が取れれば、メールでその旨だけ先に出しておきます)。

 6月6日、関西の天気はやや雲が散った晴れです。熱がどこまで下がるかわかりませんが、急に肩の周りに凝っていたものが落ちたような体感です。

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 そして、シャワーを浴び、昨日の記事の冒頭を読んで、大苦笑。人は自分で記憶を都合のよいようにデフォルメして記憶するという例だ。

 心の呪縛に気づかない昨日と呪縛の正体が解けた今日とでは、同じ出来事すら、違う物語になる。

 そういう心理のメカニズムを知識として知っている割に、実際には自分が縛られているのだなぁ。