母は最後まで血圧が上がらなかった。そのため呼吸が大きな音になり心拍数も普通の2倍になってものすごい苦痛の中にあった。血圧をあげるため心臓の動きがますます激しくなった。
高血圧要注意と診断されたから血圧を低下させる薬を飲んだが、最後まで高血圧の心配はなかった。血圧が上がらなかったので心臓も肺も無理をした。血圧が上がっていれば心臓もゆっくりになったろうし呼吸も楽になっただろう。
意識がなくなったのは血圧が低下して脳の毛細血管に血液を遅れなくなったからだ。最も本能的な運動神経だけの血管にしか血液が行かなくなった。もし、目が覚めても、私はだれ、とか、そもそも言葉をしゃべれない脳になっていただろう。小脳だけで生きているからだ。大脳は血液が届かないので働きを停止していたはずだ。それで、小脳と体力だけで生きていた。大脳は機能停止。何も考えていないし、何も考えることができない。これでどうやって蘇るのか。不可能なことを、いっしょうけんめい、考えていた。血行を良くすれば何とかなるかもしれない、とか、呼び戻すには目をあけたとき腕をつかんで声をかけるとか、すべて、無駄なことだった。
母の意識がなくなったとき父は、血圧が上がらない、どうすれば血圧が上がるんだ、と右往左往していた。その時、何を馬鹿なことを言っているんだ、高血圧が治っているのだからどこにも問題などないだろう、の考えだった。血圧が低くなって寝ているのだから、そのうち目を覚ますだろう、と考えていた。
実に楽観的だった。何で父が大騒ぎしているのか、全くわからなかった。日頃の目標を達成しているのに、何が問題なんだ、問題などないだろう、とズーーーーっと不思議だった。
もし、今年の猛暑で、脱塩、脱水、めまいで横になったこと、などを経験しなかったら、母が薬にやられた、などとは考えもしなかった。ズーーーーっと不思議のままだったのだから、これからも、不思議なことだった、で終わっていた。
母にとって飲む必要のない不要品が、なぜ、必需品になったのか、最後に苦しむことになることがわからなかったのだろうが、原因は薬だ、なんて誰も思わない。誰にとっても薬は必需品だろう。
しかし、ナイナイづくしの時代に育った母に、薬など飲んだこともない母に、体力はあふれるほど持っていた母に、薬ほど不要なものは、なかった。