日本の国柄(くにがら) 第26号 福住蟷螂
民主主義は、民衆が立ち上がって、政治や政策に関して声を上げるところから始まります。
自らの頭脳から絞り出した思想をもとに、互いに口から唾を飛ばして議論し、汗をかいて駆けずり回って賛同者を増やし、
最後は命の危険を冒して、素手で、あるいは武器を手に、国家権力などと対決しなければなりません。
西欧の歴史では、民衆が革命を起こして、多くが血を流し、命を失っています。民主主義は与えられるものではない。
単に講義を聴いて学ぶものでもない。民衆自らが勝ち取るものです。まして、他国から貰い受けるなど論理矛盾です。
いわゆる“護憲派”は、これを理解していません。軍部に騙されたというのは、自己欺瞞であり偽りの言い訳です。
弱虫で卑怯であり、自分の無能力を露呈しています。
明治維新の指導者たちは殆ど、十数年に渡って、暗殺、謀殺、戦死の危険に身を晒し、国家のために命を懸けて働きました。
その成果として作られたのが、大日本帝国憲法であり、その補いとして必須であった倫理的内容を、教育勅語として公布しました。
この明治憲法と教育勅語に、維新指導者たちの痛切な思いが込められていると、私は思っています。
ところが、当時の多くの国民は、ただ与えられたものとしか考えなかったようです。
宝物とは夢にも思わなかった。大切に扱ったようには見えません。当然、熟読しなかったのでしょう。
大日本帝国憲法は、立憲君主制の規定であり、天皇に政治的権限を認めていません。
軍の勝手な行動も許されません。
美濃部達吉、幣原喜重郎、丸山眞男、宮澤俊義の四人も、そのように解釈しています。
天皇絶対制と言う人は、明治憲法を真面目に読んでいません。
後に論理的証明もなく意見を変えた丸山眞男と宮澤俊義は、大日本帝国憲法の裏切り者であり、日本国と日本国民にとって、共通の国賊です。