両親が通うデイサービスの正月休みが明けて、今日からまた二人とも元気に通ってくれました。お蔭さまで自由な時間が取れたので今日は家内と次男と一緒に近所の神社へ初詣に行ってきました。
以前は二日に箱根駅伝の応援をしに藤沢へ行って、その後に江の島の神社へ初詣にいくことが我が家の定番でしたが、コロナ禍になってからはそれが叶わずまた両親の介護のこともあって去年からは市内の諏訪神社へ行くことにしているのです。
この諏訪神社近辺には小学生の同級生が多数住んでいて実家から徒歩だと30分程度はかかっていたと思いますが、子供の時の遊び場の一つになっていました。当時の記憶でもこの神社は結構な古さで、また地元の人しか参拝に訪れないのでどちらかと言うと寂れた感じの神社だったと言う記憶でした。
でも昨日ネットでこの神社のHPを覗いてみたらビックリ。HPから由緒沿革と写真お借りしました。
鎮座地 相模国 大和市下鶴間2540番地
御祭神 建御名方神 (たけみなかたのかみ)
御祭神 建御名方神 (たけみなかたのかみ)
当諏訪神社の創立の年代は不詳であるが、古来より式内石楯尾神社なりと伝えられ、新編相模風土記によれば文徳天皇天安元年(八五七年)五月祭祀のことが記載され、醍醐天皇延喜七年(九〇七年)の神名帳には、高座小五座のうち下鶴間村に石楯尾神社ありと記されている。
鎌倉時代中期のころ諏訪社として祀られたものと考えられ、延宝八年(一八六〇年)再建の棟札があったと云うことからも、徳川氏入国当時既に厳然と鎮座していたのは明らかである。
宝永八年(一七一〇年)六月再建、安永七年(一七七八年)再建の棟札は現存している。
さらに安政五年(一八五八年)十一月六日完成間近の社殿を大工の失火より悉く焼失してしまった。その後、氏子の熱意により明治五年七月に三ヵ年の歳月と、多大な資材、労力をかけて完成した社殿と伝えられているが、近隣の神社中でも比類のないものと云われている立派な彫刻にその年月の大半がかけられたものと思われる。
宝永八年(一七一〇年)六月再建、安永七年(一七七八年)再建の棟札は現存している。
さらに安政五年(一八五八年)十一月六日完成間近の社殿を大工の失火より悉く焼失してしまった。その後、氏子の熱意により明治五年七月に三ヵ年の歳月と、多大な資材、労力をかけて完成した社殿と伝えられているが、近隣の神社中でも比類のないものと云われている立派な彫刻にその年月の大半がかけられたものと思われる。
とっても古くからある神社だったんですね。
諏訪神社 今日の様子
天気も良く穏やかな日でした。おみくじは次男が「大吉」、家内は「中吉」。
そして私は第十四番「末吉」でした。
「何事も進んですることはいけません 心静かに諸事控え目にして是までの職業を守り 身を慎んで勉強なさい 其内に悪い運気去って幸福の時がきます」
とのこと。基本的にずんずんと先を急ぐタイプの私なので「心静かに諸事控え目」にすることはとっても難しいことです。しかし折角のお告げなので今年はこの言葉をしっかり心に留めて1年間生活していこうと思います。
因みにネットで調べていたらこんなことが載っていました。
おみくじ14番末吉の意味:
「自分が玉なのか石なのかわからずに憂い嘆いているとさらに悲しくなってくる。
しかし道は大きな道に通じて前途は開けている。
花も残った枝に咲こうとしている。」
しかし道は大きな道に通じて前途は開けている。
花も残った枝に咲こうとしている。」
おみくじ14番末吉の解釈:
「才能が周囲の人に認められず悲しいこともありますが、やがてあなたは成功し運も開くでしょう。」
実家の庭の金柑の実
今年は豊作でちょっと小ぶりですが沢山の実をつけてくれました。
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