「介護もトライアスロンも楽しんで」

90代両親を介護の日々ですが、合間に走って泳いで、バイクにも乗って年1回のトライアスロン大会参加を目標に楽しんでいます。

豚ばら肉と野菜のコーラ煮

2009年06月30日 20時03分34秒 | 男の料理

今日は仕事がお休みなので、毎度の男の料理です。

今日は夕方に時間が取れないので、昼食後に晩ご飯を早々と作ることになりました。さて、何にするか?煮込み料理系がいいでしょう、ということで、今晩のメインは夏のキャンプに行った時にも作る肉と野菜のコーラ煮です。

材料も作り方も適当でいいのです。コーラには色々な調味料が入っています。なので、コーラさえ入れれば後は何とかなるのです。

肉はその時によってスペアリブにもしますが、今日は豚のばら肉です。フォークで刺して穴を開けます。野菜はじゃがいも、玉ねぎ、本当は長ネギの方がいいと思うのですが、子供達が長ネギを食べてくれないので玉ねぎにしました。そして、人参、竹の子(水煮)が冷蔵庫に残っていましたのでこれも入れます。後はゆで卵です。

調味料はコンソメ、コーラ、醤油、みりん、お酒です。

豚ばら肉と人参、コーラを入れて電子レンジで、強で2分、弱で5分チンします。その後はなべに移し、ジャガイモとゆで卵を入れてトータル50分くらい煮ます。玉ねぎと竹の子はラスト30分ぐらいで入れました。

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出来上がりから食べ始めまで3時間以上置いていたので、味がたっぷりとしみ込んでとても美味しかったです。子供も家内も喜んでくれました。

豚ばら肉600g、じゃがいも3ヶ、人参3本、玉ねぎ3ヶ、竹の子半分、ゆで卵5ヶ、コーラ1L、醤油300ccぐらいか?、みりん、お酒は適当。

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桃 その後

2009年06月30日 13時27分20秒 | 自然

大変楽しみにしている桃ですが、先週末にとんでもない事態が起こりました。

桃が沢山なっている枝の一本が途中でボッキリと折れていたのです。自然に折れたのか、何か原因があったのかは定かではありませんが、とても残念です。完全に切り落とされてはいません。そしてその枝になっている実もまだ食べれる状態ではありませんので、取りあえず袋を掛けたままの状態にしてあります。

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他の枝の桃では、袋掛けをしなかった桃がもう赤く色づき、もうすぐ食べれそうな状態でした。

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岡山大学病院のカテーテル治療

2009年06月29日 17時51分19秒 | 心臓手術その後

6月27日の毎日新聞の地方紙に下記記事が掲載されていたようで、今日ネットで見つけました。

心臓外科手術:岡大病院のカテーテル治療、豪のシンポで中継 /岡山
     ◇心房中隔欠損症「怖がらず治療を」
岡山大学病院でこのほど行われた心臓外科手術の模様が、オーストラリアで開かれた国際シンポジウム「心臓カテーテル治療シンポジウム2009」で、衛星回線を通じて中継された。同シンポでは、サウジアラビア、ドイツなど世界7カ国の手術室から手術の模様が中継され、同大病院は国内で初めて中継対象に選ばれた。【坂根真理】

同大は心臓手術で国内トップクラスの実績を誇る。中でもカテーテルと呼ばれる管を使った心臓手術の実績は過去4年間で、全国1000例のうち300例を執刀している。

患者は心臓の右心房と左心房を隔てる壁に穴があいた「心房中隔欠損症」の59歳と78歳の女性。手術は太ももから直径約3ミリのカテーテルを入れて心臓に到達させ、管の先端に取り付けた閉鎖栓で穴を閉じる。中継では、治療過程の細かい技術や手順などが公開された。手術は約2時間で終了した。患者は3日ほどで退院可能という。

手術を担当した循環器疾患集中治療部の赤木禎治准教授は「(開胸手術よりも)カテーテルによる治療の方が患者への負担が軽く、安全性も高い」と話す。心房中隔欠損症の2人は、生まれつき心臓に穴があっても目立った自覚症状はなく、40代を過ぎたころから、動悸(どうき)や呼吸困難などで日常生活に支障をきたすようになったという。

赤木准教授によると、国内には推計約2000人の患者がいるとみられ、世界では約5万人の患者がいるという。赤木准教授は「40歳を過ぎ始めたころから、自覚症状が現れやすい。手術を尻込みする高齢者の患者さんも多いが、放置すれば心不全で死亡する場合もあるので、怖がらずに治療を」と呼びかけている。

私のHPの「医療コーディネーター」のページにも記載いたしましたが、現在日本国内においてAMPLATZER心房中隔欠損症のカテーテル治療を行っている認定病院は19病院あります。中でもここ岡山大学病院の赤木准教授の元で行われたカテーテル治療が国内最多の実績を誇り、また最良の結果を得ているようです。

私の症例からしますと、心房中隔欠損症はその欠損孔を通じて左心房から右心房への血液の逆流が起こります。そして、長い年月の間にこの逆流が原因で右心房の肥大を起こし、その心肥大が三尖弁のいびつに繋がり、更にその結果として三尖弁閉鎖不全を起こしました。三尖弁閉鎖不全症の治療は開胸手術しか方法がありませんので、私のような症状の患者は心房中隔欠損症のカテーテル治療を受けることができません。
 
なので、心房中隔欠損症と分った方は三尖弁閉鎖不全という合併症が出る前に、早めにこのカテーテル治療をされることをお勧めいたします。

岡山大学病院ホームページ http://www.okayama-u.ac.jp/user/cvs/index.html

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手術痕

2009年06月29日 15時16分57秒 | 心臓手術その後

手術後当初は、胸の22cmの手術痕がどうなっていくのか大変気になりました。また、その変化に大変興味もありました。しかし、この傷跡が赤くなったりはしませんでしたし、外来リハビリに通っていて、心電図を取り付ける際にも傷跡については何も言われず、奥山先生の外来診察の時には傷跡は綺麗ですねと言われていました。なので、皮膚科の病院に通って薬を貰うこともせずに、放置していたのです。

先日ふと傷跡を見ますと、下の方のごく一部ですが、赤くぷっくりと膨らんでいる部分がありました。今日、近所の病院(皮膚科専門ではない)に行ってきました。

先生は、「ケロイドになっていますね」と言い、軟膏を付ける様にと処方箋をくれました。薬局に行ってその軟膏を貰う際、「●●さん、お久し振りですね。前回毛虫に刺された時にお出ししたお薬がでていますが、また毛虫に刺されましたか?」と聞いてきた。

「いえ、手術跡がケロイドになっているのでそこに塗る薬です」と応えました。毛虫と一緒かと、私は相手の問いかけにたじろぎましたが、相手も私の応えに一瞬たじろいだのが分ります。

頂いた薬はデルスパート軟膏0.05%、炎症を抑える薬だそうです。取りあえず5g1本使い切ってみるか。

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退院4ヶ月後の心境

2009年06月28日 07時49分02秒 | 心臓手術その後

今月末で退院後4ヶ月になります。月日が経つのはやはり早いです。もう4ヶ月?と言うのがその感想です。

私は現在、今回の私の心臓手術はいったい何だったのだろう?と言う疑問を持っています。何故なら、私は実際に胸骨を切り開いての心臓手術を受けていて、鏡で自分の胸を見れば、そこには20cm以上の傷跡が残っており、手術をしたということは紛れも無い事実なのですが、退院後4ヶ月が経とうとしている今現在においては、正直言って心臓手術をしたなんて言う実感が殆ど持てていないのです。

手術の実感はないのですが、家内が言っていました。手術前1~2年は、私は直ぐに「疲れた、疲れた」を連発していたそうです。それが手術後は全く言わなくなっているわよ、と。確かに言われてみればそうでした。それに手術前は会社までの通勤ランをしようなどとは考えもしなかったのですが、退院後走ることの許可が出てからは、考えもしなかったその通勤ランを既に5回も行っています。そして来年2月か3月のフルマラソン参加へ向けた練習で、6月の月間走行距離は予定の140kmを大きく延ばし200kmを越えました。本当に私の心臓は元気になっています。手術前と後では雲泥の差があり、このことについての実感はしっかりと感じています。なので、当たり前ですが、手術をして良かったという気持ちはあるのです。それなのに、心臓手術をしたという実感がありません。手術をして良かったという気持ちと、手術の実感がないと言うのが矛盾しているのであれは、手術をしたという実感がとても希薄なのです、と言い換えましょう。

心房中隔欠損症と三尖弁閉鎖不全症という病名を宣告されてから入院するまでの17日間は、またまた家内の言葉になりますが、私の姿はそれはそれは暗かったそうです。しかし、家内が私の暗い顔を見るたびに、「厭だ!そんな暗い顔は見たくない!手術するしかないんだから、覚悟を決めて!」などと言い、私に落ち込む時間を与えてくれませんでした。何より子供がまだ成人しておらず、万が一なんていうことは考えたくなかったし、家内からは生きて帰ってくるのが当たり前でしょ、と言われ、自身でも、一日も早く帰って来て仕事に復帰しなければと言う気持ちが強かったと思います。

昔から心臓手術は生死を賭ける一大イベントと言う先入観がありますよね。しかし、私の場合、実際はあっと言う間に終了し、と言うより知らない間に終了し、と言うのが本当のところですね、そして、手術後は取り立てて言うほどの痛みや体調の不良を覚えることもなく、他の患者さん達と比較してもかなり順調な入院生活を送りました。そして手術後7日目には退院。退院後の不安は唯一切断した胸骨のことだけでした。しかし、これも一日も早く職場に復帰したいがために、退院後5日目から車の運転を開始し、胸骨への不安があってもハートハガーを着けることで安心感が湧き、退院後18日目からはそれを着けて職場へ復帰することが出来ました。会社を病欠した期間は実質ぴったり1ヶ月です。退院後の薬も、人によっては2年、3年と、あるいはそれ以上の期間飲み続けなければいけないケースもある様ですが、私は3ヶ月もしない内に全ての薬を服用する必要がないと言われ、その後はもうすっかり元の普通の生活をしています。

そうなのです。実感が湧いていない理由は、心臓手術をしたのであれば本来ならあるであろうはずの、そこに本当の不自由さや激痛、苦しみ、悲壮感、死への恐怖などと言う負の要素が欠如していたからなのでしょう。実感が湧かない理由を一言で言うならば「拍子抜け」だったのです。人工心肺を使い、心臓を停止させ、心臓を切り開く。この作業から私たちが想像する死への恐怖、術後の合併症、薬の副作用、苦悩のリハビリ生活、社会復帰への障害、などというものが一切なかったのです。

今回の自身の手術は病院から頂いたビデオで見ましたので、その大変さは充分認識していますし、奥山先生や手術に携わってくださった全てのスタッフの方々への感謝の気持ちは今でもそしてこれからも持ち続けることに変わりはありません。しかし、私の心臓の症状は、重症患者のそれではなかったのでしょう。奥山先生の説明でも手術での死亡の可能性は2~3%以下でした。一概に心臓手術と言ってもその病状は様々です。そして、その病状によって手術の難易度も様々でしょう。私の心臓手術は、現在の日本の医学の下では本当に単なる外科手術の一つで、盲腸の手術と同じ様に手順が確立し、安全性の保障も確かなものであったのでしょう。

なので現在の心境としては、心臓手術をしたなどとあまり大げさに言えないな~、と言うことです。「心臓手術からフルマラソンへ」などと言う看板は少々恥ずかしくなってきています。間違っても「盲腸手術からフルマラソンへ」などと言うタイトルを使う人はいませんよね。

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