今月末で退院後4ヶ月になります。月日が経つのはやはり早いです。もう4ヶ月?と言うのがその感想です。
私は現在、今回の私の心臓手術はいったい何だったのだろう?と言う疑問を持っています。何故なら、私は実際に胸骨を切り開いての心臓手術を受けていて、鏡で自分の胸を見れば、そこには20cm以上の傷跡が残っており、手術をしたということは紛れも無い事実なのですが、退院後4ヶ月が経とうとしている今現在においては、正直言って心臓手術をしたなんて言う実感が殆ど持てていないのです。
手術の実感はないのですが、家内が言っていました。手術前1~2年は、私は直ぐに「疲れた、疲れた」を連発していたそうです。それが手術後は全く言わなくなっているわよ、と。確かに言われてみればそうでした。それに手術前は会社までの通勤ランをしようなどとは考えもしなかったのですが、退院後走ることの許可が出てからは、考えもしなかったその通勤ランを既に5回も行っています。そして来年2月か3月のフルマラソン参加へ向けた練習で、6月の月間走行距離は予定の140kmを大きく延ばし200kmを越えました。本当に私の心臓は元気になっています。手術前と後では雲泥の差があり、このことについての実感はしっかりと感じています。なので、当たり前ですが、手術をして良かったという気持ちはあるのです。それなのに、心臓手術をしたという実感がありません。手術をして良かったという気持ちと、手術の実感がないと言うのが矛盾しているのであれは、手術をしたという実感がとても希薄なのです、と言い換えましょう。
心房中隔欠損症と三尖弁閉鎖不全症という病名を宣告されてから入院するまでの17日間は、またまた家内の言葉になりますが、私の姿はそれはそれは暗かったそうです。しかし、家内が私の暗い顔を見るたびに、「厭だ!そんな暗い顔は見たくない!手術するしかないんだから、覚悟を決めて!」などと言い、私に落ち込む時間を与えてくれませんでした。何より子供がまだ成人しておらず、万が一なんていうことは考えたくなかったし、家内からは生きて帰ってくるのが当たり前でしょ、と言われ、自身でも、一日も早く帰って来て仕事に復帰しなければと言う気持ちが強かったと思います。
昔から心臓手術は生死を賭ける一大イベントと言う先入観がありますよね。しかし、私の場合、実際はあっと言う間に終了し、と言うより知らない間に終了し、と言うのが本当のところですね、そして、手術後は取り立てて言うほどの痛みや体調の不良を覚えることもなく、他の患者さん達と比較してもかなり順調な入院生活を送りました。そして手術後7日目には退院。退院後の不安は唯一切断した胸骨のことだけでした。しかし、これも一日も早く職場に復帰したいがために、退院後5日目から車の運転を開始し、胸骨への不安があってもハートハガーを着けることで安心感が湧き、退院後18日目からはそれを着けて職場へ復帰することが出来ました。会社を病欠した期間は実質ぴったり1ヶ月です。退院後の薬も、人によっては2年、3年と、あるいはそれ以上の期間飲み続けなければいけないケースもある様ですが、私は3ヶ月もしない内に全ての薬を服用する必要がないと言われ、その後はもうすっかり元の普通の生活をしています。
そうなのです。実感が湧いていない理由は、心臓手術をしたのであれば本来ならあるであろうはずの、そこに本当の不自由さや激痛、苦しみ、悲壮感、死への恐怖などと言う負の要素が欠如していたからなのでしょう。実感が湧かない理由を一言で言うならば「拍子抜け」だったのです。人工心肺を使い、心臓を停止させ、心臓を切り開く。この作業から私たちが想像する死への恐怖、術後の合併症、薬の副作用、苦悩のリハビリ生活、社会復帰への障害、などというものが一切なかったのです。
今回の自身の手術は病院から頂いたビデオで見ましたので、その大変さは充分認識していますし、奥山先生や手術に携わってくださった全てのスタッフの方々への感謝の気持ちは今でもそしてこれからも持ち続けることに変わりはありません。しかし、私の心臓の症状は、重症患者のそれではなかったのでしょう。奥山先生の説明でも手術での死亡の可能性は2~3%以下でした。一概に心臓手術と言ってもその病状は様々です。そして、その病状によって手術の難易度も様々でしょう。私の心臓手術は、現在の日本の医学の下では本当に単なる外科手術の一つで、盲腸の手術と同じ様に手順が確立し、安全性の保障も確かなものであったのでしょう。
なので現在の心境としては、心臓手術をしたなどとあまり大げさに言えないな~、と言うことです。「心臓手術からフルマラソンへ」などと言う看板は少々恥ずかしくなってきています。間違っても「盲腸手術からフルマラソンへ」などと言うタイトルを使う人はいませんよね。