「介護もトライアスロンも楽しんで」

90代両親を介護の日々ですが、合間に走って泳いで、バイクにも乗って年1回のトライアスロン大会参加を目標に楽しんでいます。

心臓手術からフルマラソンへ(検査入院)

2009年01月31日 20時04分33秒 | 心臓手術体験記
1月30日(金)
心臓カテーテル検査のため1泊の入院



自宅から大和成和病院までは車で5分の距離です。1泊だけなので、今日は車で病院へ。大和成和病院の駐車場はかなりの台数が止められます。総合病院ではないので、患者達やその家族が車できても皆余裕を持って駐車できます。明日また車に乗って帰るので看護師さんに許可を取って車もそのまま駐車場に1泊です。

病院の建物の周りにも駐車場はありますが、それ以外にも50mほど離れたところに第一・第二駐車場があります。かなりの台数が停められます。病院3階の窓からの写真です。



1階の入院受付へ。ここで、入院前に渡されていた書類を提出し、預け金の10万円を払う。
・検査実施承諾書
・ヨード造影剤使用の説明書・同意書
・入院中の安全確保について(身体抑制に関する説明と同意書)
・アメニティセット申込書


3階のナースステーションへ行ってください、とのことで3階へ。

3階北側廊下の様子




<この時点ではHPのことが頭にありませんでしたので、検査などについてのメモは一切取っておりませんでした。後日、私の記憶と病院から頂いている書類等を頼りにこのページを作成いたしました。ですので、時間表示につきましては記憶がさだかではありません。省略させていただきましたのでご了承ください。>



ナースステーションから病室へ行く途中で、「●●さん」と私の名前を呼ぶ女性がいました。ん?誰だ?と思いながら振り向くと、私が現在勤めている会社の同じ部署で昨年秋まで勤めていたHさんが看護師の様な制服姿で立っているではありませんか。ビックリして話を聞くと、その後アメニティサポートをしている会社に就職し、この病院で働いているとのこと。世の中狭いよな~、と改めてビックリしてしまいます。

病室で病衣に着替え、検査2時間程前から点滴が始まりました。そして、看護師さんによる剃毛があります。この年になってもやっぱり恥ずかしいですよね。点滴をしていなければ自分でするのですが・・・
カテーテルの挿入箇所は右腕と右脚付け根の2箇所だそうです。右脚付け根から挿入するためにどうしても剃毛して清潔にしないといけないとのこと。挿入箇所については、1月22日の説明では6箇所からとのことだったので、かなり負担感がありましたが2箇所からならと一安心です。

この後、検査時間になり歩いて1階の検査室へ。検査室に入り、検査台に乗ってから気が付いたのですが、室内にはクラシック音楽が流れていて、ゆったりした気分になれます。もう30年近く前ですが、盲腸の手術の際は手術室が何の面白みもない空間で、そしてやけに寒く感じられ震えたことを思い出しました(武者震い?だったのか)。その時とは大違いで今は随分とリラックスできています。

検査をしてくれる奥山医師と挨拶を交わす。そしてもう1人は武藤先生も検査室にいて検査を行っていただきました。

検査台に横になって、上を見上げると心臓内の画像を表示させるディスプレイが目に入りました。ああ、これで画像を確認できるのだな、検査してもらいながら自分でも確認できるのでこれはいいな、などと考えましたが、どういう訳か始めのうちはなかなか画像を見る気にはなりませんでした。

カテーテルの挿入は、局部麻酔をしてくれますので、痛くはありません。ただし、造影剤を注入されると身体中、足の先から頭のてっぺんまでグァ~と熱くなります。気持ちが悪いまではいきませんが、決して気持ちの良いものでもありません。そして、カテーテルが心臓内に入って来た時には、何かが心臓に入っているというのが判り、思わず「何か入ってますね。」と先生に言ってしまいました。先生は、笑いながら「そうです。何かが入っているでしょ。」 画像を見ると心臓内と思われるものが映し出されていて、そこを細い針の様なもので何回か突っついているのが判りました。後で先生に聞いたところでは、欠損孔にカテーテルを通そうとしていたとのこと。しかし、孔が小さく途中で断念したそうです。

検査終了後、私は立ち上がることができません。なので、検査室には病室で使っているベッドが搬入されていて、検査台からベッドへ4-5人掛かりで私を持ち上げて移動させてくれました。

検査室から外へ出ると、そこには先程のHさんが。もう1人の看護師さんと2人で私を病室まで運んでくれました。

カテーテルを挿入した右腕には腕を動かさない様にするための固定板が取り付けられていて、肘を曲げることはできません。この固定板が取れるのは検査後4時間ほどしてからです。また、造影剤を体外に出すために最低500ml以上の水分を積極的にとって排尿する必要があります。

夕方、検査結果につて、ナースステーション前のミーティングルームにてS医師より説明 。
診断は当初の通り、心房中隔欠損症で欠損孔の大きさは1cm以下とのこと。他に合併症はないが、心臓内の圧力は高くなっていて、また息切れや動悸などの症状も既にでているので、手術をすることについての適応は充分に満たしている。とのこと。

私は、1月22日の検査結果を聞いた時点で手術をすることを決めていましたので、その場で改めて手術をお願いします、とS医師に頼みました。S医師は執刀するのは奥山医師で、今病院内にいるので連絡を取ってこの場に来てもらおうと携帯電話で奥山医師に連絡。S医師は退席した。程なくして奥山医師が医療コーティネーターの牧野さんと共に入室。挨拶を交わし奥山医師に手術をしていただきたい旨をお願いした。

ここで、思わぬ展開が、
奥山医師が私の病状について改めて説明をしてくれたのです。そして、なんと、私の心臓は心房中隔欠損症だけでなく合併症として、この心房中隔欠損が原因で右心房が肥大し、その肥大に伴い、右心房と右心室の間にある三尖弁がいびつになっていて、この弁膜の閉鎖不全を起こしているとのこと。更にここからも血液の逆流が認められ、現在症状として出ている息切れや動悸はこちらの逆流が原因であろうとのこと。

うわぁ!何だ何だ!合併症があるのか!!
どうなっているんだ!・・・・・
慌ててしまいましたが努めて冷静を装い、兎にも角にも手術が必要なことに代わりはないので、出来るだけ早い日取りで手術をしてくださいとお願いしたのです。既に多くの手術が入っているようで、結局2月17日入院の21日手術と決まりました。わぁー結構混んでるのね。というのが私の感想です。さすが心臓に関する専門病院で、TVなどでも何度も取り上げられているだけのことはあるなーと納得。私は手術をやるとなったらさっさとやってしまいたい性質です。半年程度の先延ばしは可能なのでしょうが、そうしてしまうとその間に手術に対しての恐怖心が湧きあがってしまうのが判っています。なので、さっさと日取りを決めてしまうのが一番と考えました。

1月31日(土)
この日は退院前に心エコーの検査があり、検査後昼前に一旦退院です。1階会計で清算を済ませ、自分の車で帰宅。
コメント (4)
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心臓手術からフルマラソンへ(自覚症状と検査)

2009年01月19日 20時00分03秒 | 心臓手術体験記
2009年2月に先天性心房中隔欠損症と三尖弁閉鎖不全症の手術を大和成和病院で受けました。
その心臓手術体験記です。当初「心臓手術からフルマラソンへ」というタイトルでホームページを立ち上げましたが、そのホームページの記事をこのブログに移動いたします。全編移動完了まで少し時間がかかりますがご了承ください。
《平成27年1月4日》




2008年秋~

10何年振りのフルマラソンを目指してランニングを楽しんでいた2008年秋、自分の子供(次男小学4年生/当時)やその同級生達とも駅伝チームを作って、一緒に練習をしたりしていました。このころは毎週土曜の朝、座間市にある県立谷戸山公園内を皆で走っていた頃です。しかし、走っていてもなかなかペースが上げられない日々が続いていました。今まで子供達に遅れをとるなんてことは絶対になかったのですが、いくらペースを上げようと思っても体が反応してくれません。いよいよ私も年というものを感じない訳にはいかないのかな~と、これが肉体の衰えと言うことか・・・なんぞと情け無いことを考えていました。また同時にいやいや、年齢による衰えではないぞ、何かへんだぞ・・・、とも感じていた時期でした。

そして12月になるころには、仕事場で階段を上がる時に、一階から二階にあがるだけなのに、動悸がし息切れがしたりと、いよいよこれはどこかおかしいぞ・・・と思う様になったのです。


2009年        

1月09日(金)
正月休みが終わった時点で、かかりつけの個人病院へ行こうと決めました。そしてこの日、大和駅そばの長田クリニックへ。レントゲンと心電図の検査。検査結果は、心臓肥大(範囲内で大きな問題ではないとのこと)と不整脈が出ているとの診断。これらは会社の健康診断で過去に何回か指摘されてきたことなので特に驚きはありませんでした。いつも「要観察」だけで精密検査の必要はないと言われ続けていました。ただ、今回は動悸や息切れという自覚症状があるので、大和市立病院か大和成和病院のどちらかで検査を勧められました。大和成和病院には私の知り合いが看護師として働いています。また心臓の専門の病院であることも知っていましたので迷うことなく大和成和病院への紹介状をお願いしたのです。

1月10日(土) 
大和成和病院にて受診。S医師が対応してくれました。レントゲンと心電図の検査。その他の検査の日取りを決める。

1月14日(水)
この日は負荷心電図の検査。トレッドミルに乗って走りながら心電図を計ります。心拍数160まで上げる必要があるとのこと。しかし、いくら全力で走っても心拍数は140止まり。20分くらい走っていたか?「心拍数が160まで上げられるくらいなら、病院なんかに来るかい!」と心の中で叫びながら息切れが始まってしまい、これ以上は危険なのでギブアップする。

1月19日(月)
フォルター心電図の装着。フォルター心電図とは、携帯用の24時間心電図の装置です。食事中やトイレに行っている間は勿論のこと、寝ている間もしっかりと心電図を記録してくれます。

1月20日(火)
フォルター心電図の取り外し。

1月22日(木)
今日は最後の検査、心臓のエコー検査です。今までこの検査をしたことはありませんでしたが、この検査の結果で何か分かるのでしょう。

そして、この検査の後に医師からいよいよすべての検査結果の説明です。待合の廊下で待っていると程なく私の名前がアナウンスされ、医師のいる部屋へ。S医師でした。先生への挨拶もそこそこに、先生から、「意外なものが見つかってしまいましたよ。」 おいおい、いったい何なんだよ・・・
モニターに写っているエコーの画像を指しながら先生は、「心臓に穴が開いていますよ。右心房と左心房の間の壁に穴が開いていて、血液が逆流しているのが分かります。」

うぉ~、いきなり・・・何だよそれ・・・

先生の説明によると、
ヒトは母親の胎内にいる時は肺呼吸をしておらず、酸素は母親のへその緒を通して得ています。 だから、皆胎内にいる時は心臓から肺への血液の流れはなく、右心房と左心房の間の壁に穴が空いていて、血液は [全身→大静脈→右心房→左心房→大動脈→全身] と言う具合に流れているのだそうです。それが、「おぎゃぁー!」と泣いてこの世に産れ落ちた瞬間に心房の壁に開いていた穴は瞬間的に閉じるのだそうです。そして、この瞬間からヒトは肺呼吸を始めるのだそうです。

今の子供達は殆どが病院で産れているので、退院までの間に必ず心エコーの検査があるようですね。ですからその時点で穴が塞がっているかどうか分かるわけです。また、仮に穴が塞がっていなくても5歳くらいまでの間に自然に塞がってしまうこともあるのだそうです。 私の場合は、お産婆さんに取り上げてもらっていた時代でしたので、心エコーの検査はありませんでした。また、、何が原因か知りませんが、残念なことにこの穴が産れ落ちた時に塞がらず、その後も穴が開いたままで、尚且つこの年まで何の症状も出なかったと言うことなのだそうです。

はぁ~、先天性ですか・・・ 
今までトライアスロンやフルマラソン、スキューバーダイビングなど色々ハードなこともしてきていますが、昨年秋までは全くといっていいほど元気・元気の人間だと思っていましたし、感じていました。それが、先天性って言われてもなぁ・・・・・

開いている穴の大きさがどれ程のものなのか、確認するためにカテーテル検査をすることになりました。その場で日取りが決まり、1月30日で1泊だそうです。

こうして私の入院生活が始まりました。
コメント (2)
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