一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

憐れむべし、半死の白頭翁

2005-10-01 | 自分のこと

kobantoさんのblogでとりあげられた英文俳句が、芭蕉の


夏草や 兵どもが 夢の跡


に似ている、という記事にコメントしようとしたときの話です。

僕は最初に漢詩の


年年歳歳花相似 (年々歳々 花 相似たり)
歳歳年年人不同 (歳々年々 人 同じからず)


というフレーズを思い出し、
ああ、これは杜甫の『春望』(国破れて山河在り 城春にして草木深し・・・)のラストだったっけ。そういえば芭蕉は杜甫の影響を受けてたとか言う話もあるからそういうまとめをしよう、
などど考えていました。

ところが、いちおう詩の全文を確認したところ


上のフレーズは劉廷芝の 「代悲白頭翁(白頭を悲しむ翁に代る)」というく別の漢詩でした


いずれもいい詩なのでついでに全文を載せると、

       『代悲白頭翁』  劉廷芝

洛陽城東桃李花  洛陽城東 桃李の花
飛来飛去落誰家  飛び来り飛び去りて誰が家にか落つ
洛陽女児惜顔色  洛陽の女児 顔色を惜しみ
行逢落花長歎息  行くゆく落花に逢いて長歎息す
今年花落顔色改  今年花落ちて顔色改まり
明年花開復誰在  明年花開いて復た誰か在る
已見松柏摧為薪  已に見る 松柏の摧かれて薪となるを
更聞桑田変成海  更に聞く桑田の変じて海と成るを
古人無復洛城東  古人復洛城の東に無く
今人還対落花風  今人還って対す 落花の風
年年歳歳花相似  年年歳歳花相似たり
歳歳年年人不同  歳歳年年人同じからず
寄言全盛紅顔子  言を寄す 全盛の紅顔の子
応憐半死白頭翁  応に憐れむべし 半死の白頭翁
此翁白頭真可憐  此の翁白頭 真に憐れむべし
伊昔紅顔美少年  伊れ昔 紅顔の美少年
公子王孫芳樹下  公子王孫 芳樹の下
清歌妙舞落花前  清歌妙舞す 落花の前
光禄池台開錦繍  光禄の池台 錦繍を開き
将軍楼閣画神仙  将軍の楼閣 神仙を画く
一朝臥病無相識  一朝 病に臥して相識無く
三春行楽在誰辺  三春の行楽 誰が辺りにか在る
宛転娥眉能幾時  宛転たる娥眉 能く幾時ぞ
須臾鶴髪乱如糸  須臾にして鶴髪 乱れて糸の如し
但看古来歌舞地  但だ看る 古来歌舞の地
惟有黄昏鳥雀悲  惟だ黄昏鳥雀の悲しむ有るのみ


       『春望』  杜甫

国破山河在  国破れて 山河あり
城春草木深  城春にして 草木深し
感時花濺涙  時に感じては 花にも涙をそそぎ
恨別鳥驚心  別れを恨んでは 鳥にも心を驚かす
烽火連三月  烽火 三月に連なり
家書抵万金  家書 万金に抵(あた)る
白頭掻更短  白頭 掻(か)けば更に短く
渾欲不勝簪  渾(すべ)て 簪(しん)に勝(た)えざらんと欲す

です。

うろ覚えも甚だしいですね。

共通点といえば、共に唐代の詩人ということぐらい。
高校の漢文で唐詩選のときに一緒に出てきて混同したのでしょうか・・・

しかし、そもそも七言と五言が違うので、ちょっと考えれば同じ詩ではないと気がつくはずです。
やはり相当間抜けですね。

最近とみに物忘れが激しくなってきているように感じるのですが、このままだとヤバイかもしれません。


PS 戒めをこめて、「呆け」というカテゴリを作ってしまいました。エントリが増えないことを祈ります。

コメント
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