一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

小泉首相の靖国神社参拝

2005-10-18 | よしなしごと
これについては以前それなりに整理したつもりで書いたのですが、僕の意見を一言で言えば


・国家としての戦没者慰霊と一宗教法人としての靖国神社参拝は分けるべき
・それは憲法の政教分離の原則からも当然だし、そもそも「英霊」の同意があって合祀したわけじゃなかろう
・また合祀の対象が軍人・軍属というのも適当なんだろうか
というあたりが疑問なので、戦争犠牲者を追悼するならば、国営の施設を作るべきだと思う。

というあたりです。

勝手に合祀されているという点では、高野山の奥の院にある企業の物故社員の墓(慰霊碑)を見ると、その不自然さ、故人よりも祀る側の論理が優先していることがよくわかります。


ところで今回の報道・論調で気になるところは

① 本殿に上がらない、ポケットマネーで賽銭など、一般人と同じだからいい、という話

これは大阪高裁の判決を意識したのでしょうが、問題の本質は靖国神社という存在そのものだと思うので、これは本質的な議論ではないと思います。
また、「だから諸外国は文句言うな」というのは、内向きのロジックを外に対して主張するという(もし無意識にやっているとしたら)危険な兆候かもしれません。


② 中国(韓国)が騒ぎすき、という話

確かに個人的にも外交問題の筋論としてはどうか、とは思うのですが、だからといって周辺諸国の国民感情をいたずらに刺激していいか、というのは別問題だと思います。

言うべきことは尖閣諸島問題の時などにきっちり主張すればいいと思います。

一番気になるのが「中国の反日デモ」や「中国外交部の遺憾の意」というのが「ああ、また毎度だね」というトーンで受け止められているんじゃないかという所。

確かに中国政府がデモを動員したこともあるかもしれませんが、「国民(またはひ個人個人の)感情」のような流動的なものをステレオタイプとして受け止めてしまうことは、外交上の判断を誤る、というだけでなく、あまり行き過ぎると「そもそも人間としてどうよ?」とも思うのですが・・・
コメント (4)
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