E.W.サイードオリエンタリズム![](http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=gosunkugitois-22&l=ur2&o=9)
1978年の刊行当初から激しい議論を巻き起こした問題提起の書(日本語訳は1986年)。
一度は、と思っていたところに書店で見つけて購入しました(文庫版で2分冊になっているので通勤用にもよかった)
それまで、漫然とエキゾチズム、東洋趣味、または東洋学、という意味で使われていた「オリエンタリズム」という言葉を、「オリエントに対する言説(フーコーの言う「ディスクール」)=思考の様式」としてとらえ、知の様式が力と結びつく事で「オリエントに対する支配の様式」になっていることを批判的に検証しています。
単にオリエントに対する文章は誤解・偏見だらけだというのでなく、その背景にある「西洋」と「東洋」の間には本質的な差異がある、というキリスト教に根ざした存在論的・認識論的区分がイメージ・言葉で表象されることで次第に強化され、さらにそれが学術的なディシプリン(規律・訓練)を課される事でオリエントについての一定の考え方が権威付けられて再生産され、最後は「真理」にまで強化される過程と、その結果としての近代および現代の学者・研究者からナポレオンやT.E.ロレンス(「砂漠のロレンス」として有名なイギリスの情報部員)までを広範に批評しています。
本書はオリエントについて特にイスラム世界に限定して論じていますが、ある対象を認識するに当たり無意識に陥りがちな思考方法をさまざまな形で明らかにしているという点は、他の問題や自分自身の考えを検証するに当たっても有効だと思います。
たとえば、すべての歴史をそれぞれの時代に結び付けて相対化しつつ、その最終段階を絶対化する歴史観(=この本において、また多くのケースでは西洋中心史観)
や
人種・民族等の概念に基づいた一般化とその結果としての「上からの演繹」の持つ危険性・イデオロギー性(そもそも西洋人によって「アラブ」「イスラム教徒」「セム族」などと乱暴に一般化された上でそれらが「アラブ的性格」というような変化しない固有の性質を持つとみなされてきたこと)
などは、日本と他のアジア諸国を語る上でも参考になります。
特に日本は東アジアにおいて先んじて近代化し帝国化を目指したために、ヨーロッパ的な視点をアジアに対して持ちがちな部分もあるように思います。
後半の近現代の研究者に対する批評の部分は、著者のあまりに広範な知識についていけないこともあり、読むのに難儀したのですが、全体を通して得るところの多い本でした。
<追記(10/9 0:33)>
(kobantoさんのコメントへの返事を書いていたら長くなってしまったのでこちらに追記します)
これはもともと板垣雄三先生の東大教養学部のゼミのテキストとして1981年に使われたことから始まったとのことです(訳者の今沢紀子さんもそのゼミ生の一員)
同じゼミには岩波新書「イラクとアメリカ」(2002)以来有名になった坂井啓子さんもいます。この岩波新書のあとがきの最後の一文
「最後に、家族。勝手な事ばかりやってとずいぶん心配もかけただろうが、とりあえず「ここまで来ました」と報告できる事は、嬉しい。」
に、研究者(それも予算や寄付やポストが潤沢とはいえない分野だと思います)でかつ女性(研究者の世界でも多分ハンデはあると思います)としての矜持を見る思いがして、ちょっとウルウルしてしまいました。
※もちろん「イラクとアメリカ」は内容も充実したすばらしい本です(そうでなきゃあとがきの最後まで読みません)
話は飛びますが、酒井啓子さんは確か多分片山さつきさんと同い年だと思います。
女性のキャリアも40歳からが勝負の時代になったのかもしれませんね。
AERAもあまりターゲット層である30代女性の不安を煽るだけでなく、たまには真面目に仕事をする女性を取り上げてみてもいいのではないでしょうか(また筆がすべってしまった・・・)
1978年の刊行当初から激しい議論を巻き起こした問題提起の書(日本語訳は1986年)。
一度は、と思っていたところに書店で見つけて購入しました(文庫版で2分冊になっているので通勤用にもよかった)
それまで、漫然とエキゾチズム、東洋趣味、または東洋学、という意味で使われていた「オリエンタリズム」という言葉を、「オリエントに対する言説(フーコーの言う「ディスクール」)=思考の様式」としてとらえ、知の様式が力と結びつく事で「オリエントに対する支配の様式」になっていることを批判的に検証しています。
単にオリエントに対する文章は誤解・偏見だらけだというのでなく、その背景にある「西洋」と「東洋」の間には本質的な差異がある、というキリスト教に根ざした存在論的・認識論的区分がイメージ・言葉で表象されることで次第に強化され、さらにそれが学術的なディシプリン(規律・訓練)を課される事でオリエントについての一定の考え方が権威付けられて再生産され、最後は「真理」にまで強化される過程と、その結果としての近代および現代の学者・研究者からナポレオンやT.E.ロレンス(「砂漠のロレンス」として有名なイギリスの情報部員)までを広範に批評しています。
本書はオリエントについて特にイスラム世界に限定して論じていますが、ある対象を認識するに当たり無意識に陥りがちな思考方法をさまざまな形で明らかにしているという点は、他の問題や自分自身の考えを検証するに当たっても有効だと思います。
たとえば、すべての歴史をそれぞれの時代に結び付けて相対化しつつ、その最終段階を絶対化する歴史観(=この本において、また多くのケースでは西洋中心史観)
や
人種・民族等の概念に基づいた一般化とその結果としての「上からの演繹」の持つ危険性・イデオロギー性(そもそも西洋人によって「アラブ」「イスラム教徒」「セム族」などと乱暴に一般化された上でそれらが「アラブ的性格」というような変化しない固有の性質を持つとみなされてきたこと)
などは、日本と他のアジア諸国を語る上でも参考になります。
特に日本は東アジアにおいて先んじて近代化し帝国化を目指したために、ヨーロッパ的な視点をアジアに対して持ちがちな部分もあるように思います。
後半の近現代の研究者に対する批評の部分は、著者のあまりに広範な知識についていけないこともあり、読むのに難儀したのですが、全体を通して得るところの多い本でした。
<追記(10/9 0:33)>
(kobantoさんのコメントへの返事を書いていたら長くなってしまったのでこちらに追記します)
これはもともと板垣雄三先生の東大教養学部のゼミのテキストとして1981年に使われたことから始まったとのことです(訳者の今沢紀子さんもそのゼミ生の一員)
同じゼミには岩波新書「イラクとアメリカ」(2002)以来有名になった坂井啓子さんもいます。この岩波新書のあとがきの最後の一文
「最後に、家族。勝手な事ばかりやってとずいぶん心配もかけただろうが、とりあえず「ここまで来ました」と報告できる事は、嬉しい。」
に、研究者(それも予算や寄付やポストが潤沢とはいえない分野だと思います)でかつ女性(研究者の世界でも多分ハンデはあると思います)としての矜持を見る思いがして、ちょっとウルウルしてしまいました。
※もちろん「イラクとアメリカ」は内容も充実したすばらしい本です(そうでなきゃあとがきの最後まで読みません)
話は飛びますが、酒井啓子さんは確か多分片山さつきさんと同い年だと思います。
女性のキャリアも40歳からが勝負の時代になったのかもしれませんね。
AERAもあまりターゲット層である30代女性の不安を煽るだけでなく、たまには真面目に仕事をする女性を取り上げてみてもいいのではないでしょうか(また筆がすべってしまった・・・)
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