一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

「この人ならやりかねない」

2009-05-01 | よしなしごと

Nikkei BPnetのSafety Japanに「安全生活アドバイザー」の佐伯幸子という人が書いてるコラムなのですが、言いたい放題。

電車内痴漢 ~ えん罪を防ぐ男の自己防衛策 ~  

たとえ位置的に痴漢行為が難しいと思われても、「この人ならやりかねない」と思われてしまうことがありえる。残念なことだが、人はまず見た目で判断されるのだ。中身はともかく、見知らぬ他人同士、相手を判断するのはまずその外見であるから、自分が女性にとって好ましいタイプかどうかを考える必要がある。  

極端な話、男性アイドルのような、さわやかな容貌であれば疑われないものを、女性が「この人ならやりかねない」と思ってしまうようなタイプの人もいる。また、見るからに男性すら恐れるような威圧感を持ったタイプの男性であれば、女性もなかなか声をあげにくいだろう。要するに、ごく一般的で無防備で、女性が何か言いやすいタイプであれば、いつでも的にされる危険性はあると思われる。  

この点は、実は誰よりも自分が一番知っているはずである。日頃から、周囲の女性たちとどのように接しているか、どのように思われているだろうか考えておくといい。数人の男性がいた場合、中でも特に痴漢と疑われやすいタイプかどうかを、自分の風貌や性格や物言いからも検証してみよう。

まあ、ご託宣のとおりかもしれませんし、そうだとしてもそれに対して自己防衛しなければいけない世の中というのがどうよ、という部分もありますが、さらに、「この点は、実は誰よりも自分が一番知っているはずである」というところは疑問。 
なかなか自分が「この人ならやりかねない」と見られていると自己評価できる人は少ないと思います(自分も回りも含めて。)。

逆に本人はそうは思っていないからこそ「この人ならやりかねない」という雰囲気をかもし出してしまうのではないかと。

そうでなければ、勘違い系のセクハラは起きないでしょうし。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『この国を作り変えよう-日本を再生させる10の提言』

2009-05-01 | 乱読日記

元産業再生機構のCOOで株式会社経営共創基盤の社長の冨山和彦氏とマネックス証券社長の松本大氏の対談集。
ただ、本自体は対談風でなく往復書簡風にまとめてあるので、放談風にならずにある程度まとまった考え方として整理されていてよいです。

両方の著者とは同年代なので共感する部分の多い本であります(お二人と志の高さはだいぶ違いますが・・・)。
特に団塊の世代と団塊ジュニアに挟まれ人数的にも少ない僕らの世代は、本書の一つの論点である世代間の利害対立に敏感でもあります。また僕らもそろそろ50歳が見えてきて、世代的に言えば年金もかろうじて元が取れる言わば「うまくいけば逃げ切れる」世代に属するのですが、それでいいのか、という自戒も含まれています。

本書のテーマを一言で言えば、今の日本最大の問題は「現在生きている人の最大多数の幸福と未来世代の幸福の最大化の相克」であり、ただそれは世代間対立を伴い、既得権を犯すものであるがために「見たくない現実」として目を背けているというところにある、ということです。
具体的には現在既得権益を持っている(団塊の世代を中心とする、でも僕らの世代まで含めた)中高年世代全員の意識の問題である。たとえば格差問題にしても、市場経済によってもたらされた格差と反市場経済的制度や規制を原因とする格差をすべて市場経済の責任にして、補助金などの規制的な政策で解決しようとすることの矛盾や、既得権益を守りたい世代のそれを失う不安と既得権益に縁がない世代の将来への漠然とした不安はそもそも対立関係にあるのにもかかわらず、同じ問題として扱うことの愚かさ(たとえば「老人が安心して住める国にする」という政策目標は若者を不安にするということを無視している)などです。

ただ、4,5年後には(生き残りを画策はするであろうものの)団塊の世代がお引取りになるであろうし、その時点で日本が将来に向かってどうして行くかが改めて問われることにもなり、それは逆にまた若い世代としてはチャンスでもある。そしてそのために今から変えよう、種をまいておこう、というのが二人の主張です。

たとえば年金制度については、人口構成から将来の破綻が明らかな賦課方式をやめ、一度保険料をすべて返した上で、新しい制度を一から作り直すことを提案しています。今それを行えばまだ赤字が120兆円なので、税金で補填することは十分可能だが、問題を先送りするほど改革が困難になり破綻が現実的なものになります。

もっとも副題の「10の提言」というのは結果的に編集者がまとめた感があり、政策提言というよりは考え方の軸としてこういう発想もあるよ、という意味で、特に若い人に読んでもらいたい本です。

同世代としては、松本氏のこの言葉が共感できます。

私は、おそらく冨山さんも、自分の考えが絶対に正しく、かつ普遍的であるとは全く思っていない。すべての存在と考えには「時代性」がある。私は1963年式のカラダとアタマしか持っていない。しかし1963年式としての考えを主張する権利もあるし、一方、1963年式として行動する義務もあると思う。すべての世代が、古い世代を壊す権利と義務があり、新しい世代に壊される運命を負っていると、私は考えている。

上の世代から言わせると、こういう相対論的な物言いが僕らの世代の中途半端さであり、「民主主義教育の悪弊」だとか言われるんでしょう。
でも、衆を頼んで我を通す人よりはこういう人の方が好きですけどね、僕は。


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする