一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『あの戦争になぜ負けたのか』

2009-05-08 | 乱読日記
『幕末史』のついでに買った本。

半藤一利氏のほか中西輝政(京都大学教授)、福田和也(評論家)、保阪正康(ノンフィクション作家)、戸高一成(呉市海事歴史科学館館長)、加藤 陽子(東京大学助教授)の座談会を本にしたもの。

タイトルのとおり、日中戦争から第二次世界大戦、そして終戦に至るまでの過程を専門家が具体的なエピソードを交えて分析します。


ひとことでまとめてしまうと、欧州で自国が戦場になった第一次世界大戦をほとんど経験しなかった日本は、その教訓を学ぶこともなく、総力戦を行うための戦時体制を構築せずに戦争に突入していったことに、議論の焦点があたります。

軍隊は戦時中でありながら平時の人事異動を行い、適材適所に欠けていた。
配属も陸軍大学・海軍兵学校の成績順に「エリートコース」が用意され、兵站部隊は軽視され、発言権もなかった(そして、皮肉にも成績重視は日露戦争までの藩閥人事をからの脱却の結果ででもあった)等々。


話題が陸海軍から政治、終戦の意思決定にまで及ぶので、この辺の歴史に詳しい人には深堀りをしていない分物足りないかもしれませんが、僕のような素人にとってはなかなか面白い本でした。


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『幕末史』

2009-05-08 | 乱読日記

今回は連休中の読書編

これは週末の朝のNHKの読書番組(っていうのかな?)でとりあげられていたもの。

官軍側でなく幕府側の視点にたって幕末から西南戦争を見た本、ということで面白そうなので購入。
僕は不勉強で知らなかったのですが、著者の半藤一利氏は歴史もののノンフィクション作家としては有名な方らしいです。
慶應丸の内シティキャンパスの講義をまとめたものだけあって、非常に読みやすくなっています。

冒頭、著者(1930年生)は戦前の歴史教育=「薩長史観」を受けながら、一方で長岡の出身の父から、幕末の長岡戦争(北越戦争)で長岡藩兵の夜襲に「西軍」の指揮官の西園寺公望や山県有朋が命からがら逃げ出した話を聞いて、子供心に溜飲を下げていた、という話が出ます。
長岡藩を指揮していた河合継之助を主人公にしたのがこの前読んだ『峠』ということもあり、これもなにかの縁かと頁が進みました。


さて、「幕府寄り」「反薩長」というものの、全体としてはフェアに取り上げられているように思います。
幕府側も徳川慶喜のふらつきかたなども詳しく教えてくれます。

それよりも読んでいるうちに感じたのが、今まで幕末から明治にかけてを俯瞰した通史というものを始めて読んだのではないかということ。
教科書でも大政奉還で江戸時代の章が終わり、明治時代の章になるといきなり富国強兵・近代国家の建設へと邁進する日本の姿を勉強することになります。
また、小説などは主人公の死(坂本龍馬など)やクライマックスのイベント(江戸城開場、五稜郭の戦いなど)で終わってしまい、その後どうなったか、事後処理にどういう苦労があったのか、主人公をヒーローのまま死なせてしまうのが歴史的な評価として正しいのか、ということは考えません。

それから、司馬遼太郎さんの『竜馬が行く』に、大政奉還という手段を龍馬が「とっさにひらめいた」と書いてあります。読みながら「嘘つけ」と思っていたのですが、司馬さんは作り話の上手な人で、いったんそう書いておいて、十頁ほど先に「どなたの創見です」と問われた龍馬に、「「か」の字と「お」の字さ」と答えさせているんですね。この案が大久保一翁と勝海舟であることをそれとなく書き込んでいるわけです。のち大政奉還は、坂本龍馬の意見を聞いて山内容堂さんが正式に持ち出しますが、実は先に大久保さんと勝さんの二人が提案していたことが記録に残っているわけです。

しかし歴史は、それがどんなに大きくても、一イベントで終わるわけではなく、そのイベントに至る過程と同様にそのイベントがその後にどうつながるかの検証も重要です。
スイングとインパクトの瞬間だけでなくフォロースルーもより重要というようなものですね。
実際はドタバタの中で倒幕(半分は幕府の自壊)がなされ、新政府をどうやって運営していくのかというのもこれまたドタバタだったわけで、その中で登場人物がどのように考え、行動していたかを、資料を元に丁寧に説明してくれます。

 ところで「攘夷」「攘夷」と言ってますが、では下級武士や浪人たちはいったいどのような理論構成のもとに上位を唱えたのか、当然問題になるわけです。が、正直申しまして、攘夷がきちんとした理論でもって唱えられたことはほとんどなく、ただ、熱狂的な空気、情熱が先走っていた、とそう申しあげるほかはない。時の勢いというやつです。そこがおっかないところで、理路整然たる一つの思想があって皆がそれを学び、信奉し、行動に出るなら話はわかるのですが、それがほとんどなく、どんどん動いていく時代の空気が先導し、熱狂が人を人殺しへと走らせ、結果的にテロによって次の時代を強引に作っていく。テロの恐怖をテコに策士が画策し、良識や理性が沈黙させられてしまうのです。むしろ思想など後からついてくればいいという状態だったのではないでしょうか。いつの時代でもそうですが、これが一番危機的な状況であると思います。


・・・くりかえしますが、国策が開国と一致したのに、あえて戦争に持ち込んで国を混乱させ、多くの人の命を奪い、権力を奪取したのです。「維新」とカッコよく呼ばれていますが、革命であることは間違いないところです。将軍を倒し、廃藩置県によって自分の属している藩の殿様を乗り超え、下級武士であるものが一斉に頂点に立つ。ではつぎにどんな国を建設するのか、という青写真も設計図もヴィジョンもほとんどなく、なんです。
 お前はとんでもない反近代主義者だな、と叱られるかもしれませんが、明治はいまの日本をつくりあげた母胎なのである、という近代化論にはいささか疑問をもちつづけています。

当時の世界情勢をみると、日本が生き残るには新しい統一国家を作る以外に方法はなかった(勝海舟はそれを見通していた数少ない人間のひとりです)にもかかわらず、薩長の「革命家」たちは権力奪取と権力闘争にあけくれ、本書の範囲である西南戦争が終わる明治十年までに国家運営の基礎はどうにかできたものの、「万世一系」の天皇を超越的なシンボルとして明治政府が国家の精神的な統一をはかるのはまだ先のことになります(その意味で本書は『幕末史』と名づけられています。)。


そして、歴史はなおも続きます。

ここでも歴史の教科書の章立ては変わってしまい、日清・日露戦争を経て日本が帝国主義化して日中戦争・第二次世界大戦に至るまでは別の話として語られます。

ただ、参謀本部・統帥権の独立は西南戦争の際の前線と後方の指揮命令系統の混乱に懲りた山県有朋が働きかけ、明治憲法前に既に制度としてできあがっていたこと、そして、明治維新以降の陸軍は長州閥、海軍は薩摩閥で固められた軍隊の歴史が、第二次世界大戦における意思決定にまで影響を及ぼすことになる、というのはまたつぎの話になります。

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