枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

寒の入り・小寒

2013年01月05日 | Weblog

 今朝も大霜で、銀河のお茶湯が凍っている。外だから、仕方がないとは言え、冷たい。沸き立ての枇杷葉茶を淹れ、父と母、銀河に置く。続ける事はなんという事もないが、早2年が経った。銀河の、甘えた声や仕草が視える。手の中に居て、息を引き取った。

 その年の、ちょうどこのくらいの時期に、白い猫が瀕死の状態でうずくまっていた。フェンスの下を掻い潜って来たらしい。力なく見上げて啼く。寒さと飢えで息も絶え絶えだ。ダンボールを持ち出し入れ、駐車した軒に放置していた。朝、冷たくなっていた。

 実家のシロが、兄に依って連れ帰られ、檻に入れられていたのが、逃げ出した。と聞いたのは、その数日後であった。ああ・・・あれはシロだったのだ。きっと私の匂いを嗅ぎつけたものか。或いは枇杷葉の花に引き寄せられたものか。思うにつけ胸が痛い。

 団地では生き物は飼えない。家の中に閉じ込めて措くのは忍びない。だが、銀河は外に出ようとはしなかった。飼い主に似て迷子になる。娘が呼ぶか、迎えに行かないと帰れない。帰ってくると、どうして早く来なかったの。と煩く啼いたものだ。

 鏡に写る自分の姿に、あれは誰だ。と唸り、人間の子どもそっくりに、大の字になって寝ていた。膝の上で、足元で、ふかふかの布団で満足しきって眠っていた。寒がりの銀河は、湯たんぽを離さず、丸くなっても居た。暖かい場所や、涼しい所をよく知っていた。

 上の孫が出来た時、言い聞かせたらわかり、孫の傍で丸くなっていたり、何をされても我慢していた。尤も、抱きたくて触るのだが。下の孫は手加減しない。耳を引っ張るわ、首を絞めるわ。引きずるわであった。悲痛な声を出し引っ掻いた。

 銀河の居ない今、ここに居る限りは飼えない。猫が猫らしく生きるには、野良がいいのかもしれない。岩合光昭さんのカレンダーを見る度に思う。銀河の、枇杷葉を飲んだ匂いが、時折漂う。とてもいい匂いがしたよ。お風呂は嫌いだったけどね。

 今年の枇杷葉の苞。長崎茂木です。全長、3m程の円形ですが、昨年は実が少なかった。今年はどうだろう。

コメント
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