待つことは、とても辛抱が必要だけれども、耐えるだけではなく、その間に準備を整えておくことも大切。それも言い触らすのではなく、人知れずに行うこと。堤防は、蟻の這出る隙間から、決壊する。自分との闘いでもある。自分の他には絶対に云わぬことも大切。
事が成就すればこそ、失敗したら元も子もない。堅実に、着実に、加えて淡々たる姿勢を貫くことも大切だ。人が人を手に斯ける、ということには何も無い。弁護士が優位に運ぼうと、裁判で無罪になろうとも、人間を殺めた事実は消えません。一切れのパンを取っても罪です。
事件が起きてから、根拠がないだの、事実と違うだの言っても、覆水盆に返らずです。どんな切れ物の弁護士も、元は人間です。人が人を裁くには、証拠だけあればいいのではありません。例え裁判に勝っても、神からの呪縛からは逃れられません。罪は罪です。
殺されてよい人間も、殺されなければならない人もいません。歪んだ、屈折した心が生み出す悪に摑まって、苦しむのは自分です。その苦しみに耐えられる、心があればいいでしょう。私にはありません。従って、どんなに憎いと想っても、手を下すことはできません。
古来の時代や、そこに生きてきた人々等は、神の意向を天に聴き、祈り、供物を捧げ、己の行いを問い続けてきた。自然とは偉大な神である。人間を支配するのではなく、共存して生かしてくれるものだ。或いは人間の行いに対して、手酷く判定もする。
人が人を裁くことは難しい。また、人の上に立つことも難儀なことだ。万民の願いを聞き届け、政策をする事は皆無。容易く約束事も同じであろう。国民を愚弄してはいけない。騙したつもりでない分、説明をはっきりしないとね。嘘つきだなぁ・・・。
旧暦の霜月になってから、ようやく花芽が咲き始めた。日差しの中で咲いている。