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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

旧暦・12月1日

2013年01月12日 | Weblog

 寒さが一段落したような、暖かで風のない日です。3連休でしたが、今日が一番のお天気。布団を干すとふっくらになる。花瓶に活けた枇杷葉も、少し開きそうな気配がする。何となく、心が浮き立つような思い。午後から、ちょっと風が出たようだが、木枯らしはない。

 試験問題が、遅々として覚えられない。歳のせいにはできないが、眠気には勝てない。気持ちが乱れているのだ。落ち着いてしなければ、という思いとは違う、慌てている自分が居るのだ。問題が覚えられないのは、きっと心のゆとりがないから。

 試験問題に、小論文が出れば、確実に点数が取れるのだが、生憎とない。暗記するか、これまでの経歴での積み重ねでやるしかない。子どもの頃から、試験というと緊張して、頭が真っ白になった。なぜかブラックホールに呑み込まれる。

 今年は、巳年だ。巻かれるのはいいが、体内に摂りこまれそうで魘される。以前、車に乗っていて、大蛇に呑まれたことがある。凡そ、天下の公道に、白い大蛇など居そうもないが、はっきりとこの眼で視た。あの赤い燃えるような瞳を忘れようか。

 危害を加えることは無く、生臭い体内に、どれ程の時間居たのかは知れないが、気づいたら道路を走っていた。車も、私も無事だった。それでもその時に視た、妙に歪んだ景色と、朦朧とした感触は、体が覚えている。不思議な体験だった。

 尤も、話したところで、誰も信じてはくれないし、変わり者扱いをされるのがいいところ。龍のことも同じであろう。どんなに説明しても、視て居ない者には、到底わかり得ないだろう。この時も、自分から望んで、遇ったのではない。

 唯、私には荷が重過ぎるのか、そのことを何かに使う気もない。殊更に自分の心を浄化して、素直に正直に生きることしかできない。善行は隠れてせよ、とも謂われるが、行いが正しければ、お天道様を拝められる。神のあることを感謝しよう。

 白枇杷。花芽は、昨年の数倍もついているが、未だ硬く、やっと数弁開きかけた。このまま雪が降らないことを祈る。

コメント
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