枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

仕事始め・・・

2013年01月04日 | Weblog

 正月・三が日も過ぎ、今日は仕事始め。試験勉強も大詰め。覚えられません。日々、低下していく頭脳に、なす術がありません。これだけは努力如何ともし難い。自分で決めたことなのに、今になって後悔しきり。全力投球もどの方向か、さっぱりです。

 教科書を広げると、早速に眠気が襲う。疲れから、舟を漕いでおります。日々の雑用にも追われる。洗濯物も、命に関わることではないが、山になるため済ませる。洗えば干さねば、干せば取り込むことに。その後は畳まねばならない。これも一連の作業。

 帰宅と同時に、頭の先から靴まで、一瞬に汚れの取れる機械はできないか。設置する場所は玄関。出入りをするのだから、当たり前だが。SFの世界では、19世紀から描かれていて、今では商品化した物も多い。人間が動かなくなるから、機械も大変だよ。

 然し、高齢者にとってはどうだろう。機械と向き合うのがいいこととは思えないが、止む無く頼らざるを得ないのも現実。生身の体は消耗が激しい。痛みや緩みが出る。それらを動かそうとすれば、ショートするのも無理ない。取替えが効かないからだ。

 自分が歳を重ね、動けなくなることを想定すれば、生きることが辛くなる。だが、動けなくとも鼓動がしていれば、誰かの手を借りることも考えれる。年金も少ないことが予想されるから、ささやかなものになるだろう。何が必要か?空気が自在に操れること。

 トイレに行きたい。立ち上がろうとする体を支え、ゆっくり体を運んでくれる。人間も、機械も、本人の意思からは遠くかけ離れる。リハビリと証して歩くのも、身体機能からいえば怠れないことだが、自分の意思で動きたい。重力と無重力のバランスが保たれる装置。

 この先、何年の命かはわからぬが、タイムマシン・物質電送機同様、造れないだろうなぁ。人類の永遠の命は、神に優ることでもあるから、選ばれし者しかなれない。或いは、それ以前に人類が滅びる可能性もある。生きることは容易くない。

 新月になった時、少し頂いて来た。何とかついたようで、青々としてきたのがうれしい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする