自分は、虐めていない、と思っていても、相手の心の中までは窺えない。気づかない内に、意地悪を続けていることもある。仲の良い者同士だといいことも、不信感を拭えない者には、厭な気持ちが残ってしまう。そういった話に及んだら、己を省みることも大事だ。
若い人には、ちょっとのことも、高齢者にとっては苦痛を伴う。痛みにも時間の観念にも、誤差が生じる。還暦を過ぎた今、母や祖母の想いがわかる。何故、元気で居た頃に理解できなかったのか、切なくなる。介護の仕事に従事して、やっと気づいた愚かさである。
この仕事をしていて、絶対にしてはならない行動は、口先だけの格好付け。それと、かわいい。という言葉を云わないこと。莫迦の一つ覚えのように連発する輩がいる。これが尊厳に値するのか?心外な言葉である。この先、そういった高齢者にはなりたくない。
介護者の思うような、やり易い高齢者は居ない筈。それこそ、若い孫のような者等に、様々なことをされても、忍耐という我慢強さで黙っている。嫌な事は厭だと、云える者ばかりではない。その時代を生きてきた高齢者は、今でも耐え忍ぶ姿が残っているのだ。
最近の親には、同居して我慢することもなければ、他人が持っていようといまいと、必要かどうかを判断して買うことがない。便利さと豊かさの見返りは、慎ましやかな態度や、一線を引く意識が違っていること。綺麗で豪華な生活を求める。原発への傾斜になる。
枇杷葉の花芽の香りが、勤務途上に漂う。遊歩道を微かに流れてくる匂いに、何処の枇杷葉かわかる。近くの小学校の裏手にあるのと、何処かのお宅の枇杷葉で、体中に纏いつく程の匂いがする。我が家のも、洗濯物を干しに出ると匂う。花芽茶は年明けに。
腰痛予防に、毎日枇杷葉の焼酎漬けを当て、簡易懐炉を貼って、就寝時には、生葉と温めた蒟蒻を当てる。その日の疲労度次第で、生葉が真っ黒になる。鍼灸は苦手だが、りささんの薦めてくれた所はよかった。久が原の末廣堂だが、中々行けないのが難点。
で。行けない分を、民間治療で補う。歩けなくなってからでは遅い。病院は嫌いだし、手術など以ての外。それくらいなら、鍼灸さんに往診してもらう。従って、そうならないためにも枇杷葉は欠かせない。枇杷葉の移植はこの時期なので、必要なら苗をあげますよ。
着払いで送ります。鉢で育ちますが、下がコンクリーでは怪しい。また、一度植えたら無闇には移動しない。金神さまの意向に逆らってはなりません。旧暦を参照して行ってください。木丈が2m以上にならないように、毎年剪定し、枇杷葉茶にします。枇杷湯にも。
夏の雄大な宇宙。アンタレスの赤い星。天頂の大三角、白鳥座、琴座、鷲座。無限に広がる瞬きです。