枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

一日を精一杯に・・・

2013年12月01日 | Weblog

 高齢になると、その日一日が精一杯で、過ぎたことも、明日のことも定かではない。覚えていられないことが増えるし、明日のことを考えるゆとりもなくなる。食事のことさえ、首を傾げてしまう。だが、出された物は感謝して頂く。いただきます。ご馳走さまです。

 弁当持参にするのには、好みの献立で食べたい気持ちがある。給食を取ってもいいが、味付けや分量に不満が出る。粗食でいいが、栄養面を重視する。そういったことへの折半がつかない。結局、弁当にした。自分で作った物であれば、文句も言えません。

 然し、様々な命を手順は違うが、戴いているのも事実。水の中には微生物が、調味料や諸々の物にも命がある。それらを人間は口にする時、自ずと言葉や態度が出る。亦、食事を終わった時には、全ての命に対して、自分のために犠牲になってくれた祈り。

 ご馳走さま。人間は、何等一人では生産できない。たくさんの命に依って、生かされていることに気づく。いえ、気づいて欲しい。そういった感謝の気持ちがあれば、食膳を賄ってくれている人にも感謝できる筈だ。食べた後の食器は、できるだけ早めに返却。

 この当たり前の事柄が、できていない人が多い。当然の行為として、自然にされている人を見かけると、頭が下がってしまう。ありがとう、と言う前に、心の中にその思いがあるなら、実行して欲しい。人間としての、心のあり方に思えて仕方がないのはどう?

 介護の仕事には、それらは無関係なことかもしれない。けれども、細やかな心遣いを忘れずに出来、且つ言葉だけではなく、想いにもなって現われるのだ。存外にしてはならない。丁寧に接する人は、注意の仕方が違うもの。要所を外さず、効率的に動いてる。

 皆、同じ勤務時間であるのに、私語で時間を潰す者、時間を上手く使って拘れる人。自分の目標にしたい人は、どちらであることか。私など、おたおたするばかりで、ずっこけてばかりだ。介護は、決して独りではできない。協力し補うことも大切。できてるかな?

 端午の節句時にしょうぶ湯に入れる。この独特の匂いが好きで、母が元気であった頃、掘ってくれた。芽が出てくると思い出す。

 

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