夕暮れの南西の宇宙に、際立つ輝きのヴィーナスとセレネ。見事なバランスも圧巻だ。自然の織り成す天体ショーは、この日にしか観られない。こういった景観を、家に居て眺めないとは、ああもったいない。おもてなしにも、裏に隠れた心がほしい。
折りしも、孫の通う小学校に、校長先生が『まぼろし探偵』が読みたい、と言われたとかで、持って行ったのだが、そういった昔の漫画のあるのを、びっくりされた。ゲームなどよりも、自分の時間を持てる楽しみがあるとは思うが、孫には興味がない。
書籍から得る知識は大切ではあるが、それらを生かせる場所がないのか。携帯での語らいもなく、メールや書き込みの方法だけ。手紙を書けとは云わないが、その文章足るや、唖然とすることが多い。小学生ではなく、大の大人です。恥ずかしい。
日本にある四季の、其々の言葉を知り、どういった時に使うのか、相手に対しての配慮など、無きに等しい。折角、受験までして高校や大学に行ったにしては、拙い文が並ぶ。そうしてみると、江戸時代の人の方が、向学心に燃えていたのでは。
生き方は、時代と共に変化するが、変わらないのは何であろう。自然も、人間の心も歪になっていく。民主主義は消えてしまった。理不尽さと横暴さが通っているばかりで、背筋が寒くなる。反対しても多数決での強行採決をする。情けない・・・
益々、清貧の暮らしになりそうだ。極力、何処にも行かぬがいい。図書館に行くのさえ憚られる。新聞がまともに読めなくなる。疑心暗鬼の世情である。壁に耳あり障子に目あり。監視ロボットがあちこちに出没しそう。スターウォーズの世界かな。
学ぶという事は、何時でも何でも可能にさせる。知識を広げさせ、理解を示し、自分で会得していくことでもあるが、違う意見を聴いたり、同じ思いに共感したりする。いろんな人の集まりであるからこそ、学べることにもなる。差別や贔屓は異なる。
収入は増えないが、一層の倹約節約である。明日は、枇杷葉の生葉を焼酎に漬けよう。勤務に貼って行っているのが少なくなった。これを切らすと腰が痛む。寒くなったので、簡易懐炉を付け、枇杷葉を置いている。時々、筋を違えるのに泣。
夏のドクダミの花。白い花は可憐だが、その茎の臭いに閉口するらしい。消臭効果があり、トイレに飾る。乾燥させてお茶で飲む。