枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

匂い立つ

2013年12月15日 | Weblog

 最近の薔薇は、匂いが薄い。春は水仙・梅・椿、夏は薔薇・卯都木・笹百合・山女(通草)。秋には、菊・金木犀・銀木犀・月桂樹。冬の訪れには柊・枇杷葉が印象深い。我が家には、枇杷葉があるため、他の花木の匂いが薄いのか。枇杷葉には消臭効果もある。

 庭に下りれば、匂い立つ枇杷葉の花芽。今まで暖かかったのが、ここに来て急激に寒くなった。花芽は余り寒いと咲かないで、そのまま枯れる。12月中に咲いても結実しないこともある。寒さとの関係があり、関東以北では無理なこともわかる。温暖な場所がいい。

 冬場だけ、大型の透明ドームで覆いたい。寒冷紗を架けるだけでは、寒さ対策にはならないようだ。何重にもしなければ駄目らしい。夏の暑さはいいが、適度な湿りが必要で、水遣りを頻繁に行なうこと。鉢植えは特に、直径50cm以上の物を買う。根が張ってしまう。

 林檎を見る度に、無農薬の林檎を想う。あのおはなはんを瞼に浮かべる。祖母が好きで観ていた朝の連続ドラマだが、今も脳裏に鮮明に残るのは、林檎の花。あの頃に実っていたのは、無農薬であったのだ。戦後から農薬漬けになり、再び無農薬に変わっている。

 何時か、訪れたいと願いつつ、未だに行けていない。秋田、新潟、青森。寒さが苦手なのも、足が遠のく原因。作品の景色がぼんやりとしか浮かばない。厳しい寒さの実感がない。宮沢賢治や小川未明、新美南吉の物語の世界には、趣が異なってしまう帰来がある。

 人間の生きていく上で、大切なことって何だろう?其々に価値観が違うのだから、考えることも異なっていい筈だ。然しながら、原発を推進し、再稼動を煽るとは。核のゴミが出なく、安全で安心である保障は無いのに、何を基本として勧めていくのだろうかが疑問?

 福島の原発事故は、なかったのか。地震や津波が起きなくても、建設して数十年も経てば、建物は危なくなる。その危険性を顧みず、稼動させるとは、遠隔殺人に他ならない。放射線を多量に浴びる仕事には、高額な金額が支払われるが、命には代えられない。

 人間の驕りや慢心が、未来に向けて進めなくし、後戻りもできなくさせている。時間の中を虚ろに行き来するだけ。これほど無意味な無駄があろうか。人々の心を捩じ曲げての強行採決や、沖縄の反対を無視しての、オスプレイ導入には、戦争への路を往くばかり。

 自然保護。自然のままではないので、進入禁止の綱が張ってある。山には、精霊が居る。日本には神がすまう。

コメント (2)
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