枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

霜月とは・・・

2018年12月11日 | Weblog

 旧暦の霜月。古人の思考力に脱帽である。子どもの頃の朝には、霜がびっしりと降りて、雪まがいに真っ白だった。祖母は、寒がりの孫のためにでなく、籾殻を焼くのに、焚火をしている。そこで着換えようとする孫を、呆れて見ていた。わざわざ寒い外でなく、家の中での着替えの方がいいのを。

 着替えると、温かくなるのが不思議であった。早朝は、風も余り出ていなくて、一斗缶を逆さに被せて、そこに少しづつ籾殻を置いていく。ふすふすと燻し焼にしていくのも、手間であり、ちょっとした工夫も必要で、いい加減にすると燃えてしまう。祖母はそういった、微妙な調整に長けていた。

 はで足を組むのも、祖母が遣ると余程の事がないと倒れない。木が寿命であったり、記録的な台風以外はびくともしなかった。祖母は無学で、自分の名前はかろうじて書けたが、どうやって学んだのか、数学の理論を好く知っていた。きっとそれは、長年の感と熟練の技で、覚えたものと察する。

 長男の跡取りと大事にされ、何でも言うことを聞いていた兄が、全く気付かないというのが信じ難い。小さな頃から、祖母の傍を離れずに、していることを疑問に思っていたことが、これ程に記憶に残っていたものかと、有り難く想える。かと言って、それを再現せよ、と言われても不可能でもある。

 それには土地勘も必要で、稲を刈って干す頃の、風の通り具合や、田のどの場所に作ればいいかが分らないからだ。長年、そういった事をやってこそ解る。見ていたからといっても、そう簡単にはできないものだ。祖母も、亡くなって50年近くになるのだ。況してや時は還っては来ない。無念だが。

 今朝は、気温の低さに、暖房を点けておいた。トイレの出入りで、ドアが開けっぱなしになるのを、箱を置いて防ぐ。寒いので、毛布の上に丸まっており、早寝息をたてている。勤務の時間が迫っていたので、心を残しながら出掛けた。激務を終えて帰宅するとニャンとも言わない。嵐も吹いてなく。

 昨年には、悪戯ばかりなので、パソコンの部屋からは閉め出していたが、今年は、用意している箱に、大きくなってしまって納まらない。加えて、寒いのを知っており寄り付かない。利口なのである。自分の居場所と決めており、入れないと騒ぐ。内緒なのでこれに困り果てる。暖房代は幾らになる。

 ランタナも、実に真面目に、毎年咲いてくれる。冬の間は室内で、初夏過ぎには外で管理。

 

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