枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

スケジュールでは

2018年12月14日 | Weblog

 年末になって、大慌てにならなくてもいいようには、常日頃から気をつけてはいる。それでも、拭き掃除や、洗濯の類は、やはり日々のことでもある。洗濯機を二層式にしてから、洗いと濯ぎに脱水で済む。そんなにたくさんでもないので、さっさと片付く。乾燥には、暖房を点けていれば済む。

 大雪にもなったことで、すばるの寒がりに点けるが、同じなら加湿にもなるので、物干しを持ち込む。観葉植物も置いてあるので、設定温度は下げている。それに部屋の狭さで、充分暖かいもの。身体にもしっかりと着ているので、震え込む程でもない。有り難いことである。贅沢な環境に感謝。

 勤務先には、設定温度を高くして、半袖で業務をする者もいるが、どうにもついていけない。気づけば直ぐに温度を下げていく。冬は寒いのが当たり前であり、身に衣類を纏って過すので、身体機能を損なう恐れも出て来る。幾ら医者に罹り、薬を呑もうが治らない。食べ物で調整しつつ生活を。

 年間所得が幾ら増えても、また低所得の者を救済の措置を講じても、結果的には消費税の負担は変わらない。庶民への課税が増していくだけの構造だ。一体に誰が得をするのか、一目瞭然であろう。そもそもは、小泉内閣での行いの付けが、響いてきている現実に直面する。辺野古移設もそうだ。

 それでも、沖縄の人等には人権も、何もなく、諦めの気持ちと、憤怒が湧き上げるのは、余りにも切り捨ての現状を、理解しようとする者の少なさだ。幼い時に、間違ったことはしないのよ。と教えられなかったのだ。何が、粛々と行うのか、その本質は判っていない。ジャン・バルジャンだ。

 沖縄が、琉球と言われていた頃に、戻せるものなら還して。せめて、島民の権利だけは復元させたい。これでは、人としての最低限度の権利さえ剥奪している。同じ人間として、恥ずかしく情けなく哀しい。日本だけでしょう。真実の声が届かない国会は!デモも、そっちで勝手にやればである。

 悪が後を絶たなく横行している。その手本は、国会議員だ。事の良し悪しを教える者が、してはならない事を、平気でするとは、言葉が出て来ない。警察も教師も、質が落ちたものだ。大学は、選り好みで合格させるし、学ぶ真意すら怪しい。図書館に入ってくる書籍にさえ、いい加減な著作も。

 四季咲きなので、春夏秋冬にと思ったが、そうでもないのにがっかりしたが、命は宿る。

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