枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

季節の行事にも

2018年12月30日 | Weblog

 新暦になってから、眼が回る速さで月日が経つ。某新聞に以前連載されていた、旧暦の暮しに惹かれ、カレンダーも取り寄せ、暦の活用を始めた。何だか身体の調子が良くなったのか、季節の廻りに心が添えるようになった。新月は朔で、満月が望と言うことも知った。勤務も個人的な理由で。

 日捲りも活用して、自分都合だが遣っている。年末の大掃除も、遣り繰りをしつつ、新暦との兼ね合いを調整している。お飾りに関しては、一夜飾りはしたことがない。西洋のクリスマスが終われば、玄関と車に取り付ける。その際、車は必ず洗車しておく。29日を過ぎれば、一夜飾りと言う。

 地方に依っては、餅つきも験を担ぐ。29日とか30日を避けて搗く。煮しめは30日から31日にかけて作り、嫁の立場というか、長男の家に嫁いだが最後で、休憩もなく手を動かせていた。そこに平常での家事が加わるのだから、娘がやって来るのには、負担こそ増え、賃金も感謝の言葉も無。

 時たまの帰郷で、気を使うだの、金が掛かるだのの問題でなく、面倒は見てもらいたいし、来たら最後で、縦の物を横にもしないで、テレビを観ながら、親子水入らずをやっている。腹の立つのを通り越して、呆れて言葉もなかった。今は、自分の思うようにできて気儘である。すばるが居るし。

 先日、施設の年賀用に撮った写真に、わたくしの頭上、大きな輪っかが写っていたようだ。上司がびっくりして教えてくれた。あらっ、写る場合にも依るが、撮った人や、一緒に居た者にも無関係ではない。そういうオーラがあるのは知っているが、視えないことが不思議でもある。第六感かな。

 昨夜の宙は、満天の星で埋め尽くされていて、丁度こぐま座流星群の流れ星も観えた。今朝も早出だったので、余り長くは観ていられなかったが、彗星もくっきりと眺められてラッキー。今朝は大霜が降りていた。正しく、霜月に相応しい。新月ではこうはいかなくて困ってしまう。旧暦の活用。

 ここに書いていることを信じてくれている人と、まさかと思う人の違いでしょう。何度も言うが、だからこそわたくしの手当ては効くのです。此処が結界を張って、宇宙とのコンタクトが取れるのも、強ち嘘ではありません。だから、わたくしに災いを及ぼそうとすれば、何等かのことが起きる。

 リエさんの身体の変調にも、暁子さんの異変も分かっていた。唯、それを知らせても、信じて行うこととが出来なければ、治らないのだ。わたくしの場合は、手術しないことが原則なので、そうなったら援けられない。信じることには、絶大の信頼しかなく、命に代えて行うからだ。理解不可能。

 暁子さんが亡くなってから、突然、苞が出来て、花芽が咲き出した。隣の枇杷葉が飛んで来た。

 

 

 

コメント
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