枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

下弦・小潮、霜月に。

2018年12月29日 | Weblog

 昨日、2時間程だが仕事に出たので、後で考えてみたら、6連勤になってしまった。自分から出ると言った限りは、勤務もしようとしているものの、矢張り歳には勝てないものだ。そこで枇杷葉のお世話になり、肩に生葉を乗せて業務を行う。生葉は、あっという間にカラカラになる。

 熱が籠っていたものらしい。肩が上がらないのもあって、生葉を貼ったが、実によく効いた。腰には、焼酎に漬けた葉を、曝しに包んで当てている。これは毎日の事で、この手当てをしていないと、勤務が疎かになる。嗽には、枇杷葉茶に塩を入れて、ガラガラとやる。健康には持続。

 昨日、降った僅かな雪が、今朝は辺りを真っ白にしていた。大雪にもならず、積雪も少なかったのは幸いであること。本日の予定は、年末・年始の買い出しで、職員二人で行くことになる。無論、荷物持ちだが、カートを押しての買い物は、通路を塞ぐから難儀をする。店内を疾走す。

 メモを見ながらの買い物だが、チェックを行いつつ、てきぱきと済ませる。何と往復も含めて1時間で言って帰ったよ。新記録でもある。買い物品を、元旦・二日・三日と仕分けして、冷蔵庫に入れていく。食材も所要品は栄養科に注文して、冷凍庫に仕舞ってある。さてどうなるか。

 正月くらい、自宅で過してほしいものだが、何処の家族も引き取らない。冷たいものだなぁ、と心で思う。かと言って、施設に会いにも来ない所もある。不人情としか思えない子ども等である。親がそういう風に育てた、と言えばそうだが、何かね違うように感じてしまうのは何故かな。

 井上靖全集を借りた。わが母の記が読みたいばかりに。正月に読もうとしたが、途中の勤務が止む無く入って、飛び石となる。これもまた仕方のないことだが、施設を三が日は閉鎖するのもいいかな。それとも家族に来てもらって、世話をしてもらうのも、介護の点数に加算すればいい。

 幾ら専門職であろうと、どんなに心を尽くそうとも、家族への反応には、親子という血縁も含まれる。わたくしたちは、排泄や食事や、日常での見守りは可能だが、愛情の掛け方には完敗なのだ。口にこそ出さなくても想いは深い。自分も歳を重ねれば老いる。寂しいし、悲しい感情だ。

 我が家に植えてある、リエ枇杷葉。駐車場の南に、陽射しを浴びて育って、たくさんの結実も。

 

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