ディケンズの児童書を、読んではいるが、読み直そうと思い立つ。図書館に行けばあるので、借りて来た。子どもの頃に詠んだ記憶はあるものの、捉え方がかなり違う。無論オムロンで、尺度も異なる訳だから、当然のことでもあるが。然し、クリスチャンではないので、分かり辛い箇所も。
宮部みゆきさんの新刊。昨日がなければ明日もない、最初の項を読む。こちらはありきたりの事件のようで、昨今のスポーツ界を浮き彫りにしていて、納得できる。そんな綺麗事での、運動なんて有得ない。スポーツ精神に則り、正々堂々と等、絶体無い事だと常々思っていたから頷けるよ。
強ければ、勝てればいいのであって、反則すれすれでも、勝ちゃいいのよ。ああいった物に、騒ぎ立てる事が理解できないのだ。自分らしさもなく、演技することにも異論があるのだ。記録だけのことでなら、人間ではない。点数に拘らず、伸び伸びとしてこそ、評価されていい筈なんだが。
運動オンチの故かも知れないが、プロではないのだから、とも思っている。真剣勝負には違いないが、全霊を籠めてやればいいのでは?と老婆心で考える。どんな職種に於いても、認めてもらわねば意味がないのだろうか。生きていることの価値には、まやかしは通じないようにも想えるのだ。
わたくしは、自然からの教えを糧に、日々の暮らしが送れれば、それでいいと思えるが、除者か邪魔者扱いをされる。枇杷葉での手当てにも、自然のからのエネルギーを借りてこそ、可能になることも行える。特殊能力でも、何でもないことで、神さまが与えてくれた使命だと、心して施行。
今年は、枇杷葉の出来がいいようで、花芽がどの枝にも付いていて、咲き匂う。何だかもったない気分である。白枇杷も咲き始めて、満開になっているのがうれしい。佐藤さとるさんが、殊の外我が家の枇杷を、美味しいと口にしてくれた。有り難いことである。祈りと感謝の気持ちを大切に。
林檎農家さんも、荷物が着いたと喜んでくれた。何でも、奥さまと娘さんが、花芽を好まれているそうだ。香りがいいのは無論、身体にも好いので、ぽかぽかしてくるそうだ。血管がスムーズになるので、血の巡りが好くなるからだが、寒い地方と、外での作業には、枇杷葉茶が効果がある。
品種ははっきりしないが、地植えにして3年は育っていた。何でか枯れてしまい、諦めていたら復活した。