枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

試行錯誤

2008年08月14日 | Weblog
 今日の絶望は、明日への希望。
 友人がメールで伝えてきてくれた。

 きっと、ここをのぞいてくれて、その想いを書いてくれたのだ、と胸がいっぱいになる。
 そしてまた、自分だけでは真っ直ぐに前しか、視ていなかったことに気づかせてくれた。

 枇杷葉のお茶が、血管を掃除してくれるのが、昨日、用事で寄ったAさんのいうことではっきりする。
 今まで、頭の後ろがふわふわばかりしていたのが、最近はないのよ。と言われるのだ。

 もう以前から、自分ではわかっていたけれども、誰しもおなじというわけではない、と黙っていたから、よけいにうれしかった。

 葉よりも、香りがいいからと、花芽ばかりを飲まれているが、決して無茶はしないでね。
 といつも言っているのも、毒は薬になるが、その反対も在り得ることを知っているからだ。

 なんでも、納得して向き合えばいいのだが、そうばかりもいえない。また、継続することの大切さや、本人のしようという気力も必要ではある。

 枇杷にしろ、なんにしろ、命を育み見守っていくことの根本を、いまやっと気づき、していける幸せは、なんとも得がたい。
 
 突飛に、ピノキオへの、ゼッペトおじいさんの想いが思いだされた。
 ピノキオを信じてまっていよう、とクリケットに話しかける。

 ごめんなさいや、ありがとうは言わなければ伝わらないけれども、なにより自分で感じなければ、うわっつらだけになってしまうのじゃない? 

 そういえない人にはそういえるようこちらがもっていけばいいのだ。
 憎しみを持てば憎しみに憑かれ、微笑みを保てば、自然とこころがやさしくなるよ。

 Aさんも、友人もそんなふうに語りかけてくれた。
 ありがとう。

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