天気予報は、今や、当たらないのが当たり前になった。それも、最新の調査での予測だから始末が悪い。けれども、旧暦に於いては、そのものズバリで現せている。では、それらの何処に、その違いがあるのだろうか。
睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月・・・・・何れも、旧暦での一月の呼び方で、新暦には相応しくない。また新月で始まる日を朔と言い、月が次第に満月になり、やがては欠けていく様で、農事に当たっていた。
地球と月、月と太陽。その周りの惑星、そして銀河系、やがては宇宙へと。自然の摂理には、変え難い掟があり、狂いの生じた穴を、長い年月をかけて調整してきた。それが旧暦で、その年の何処に、閏月が入るかに依って、その年の予測を立てた。
また、人間の年齢でのけじめも、数えでの60歳を言い、皆各々が異なる運気を併せ持つ。その微妙な関係が、持ちつ持たれつで作用し合う。近しくなったり、疎遠になったり、或いは、一緒に生活することも生じてくる。
その因果関係は、詳しくわからないけれど、存在するのは確かだ。親殺し、子殺し。未知の殺人等、何故起きたのかという理不尽さに、憤りを覚えることが多い。然し、時は止まらない。科学がどんなに素晴しいものになっても、命は創れない。
明日は、鎌仲監督にお会いできる。人の縁は不思議だと思い、再会を楽しみにしている。祝島のドキュメンタリー、何処にでも居る人々の、けれども人間としての誇りを持っている、祝島の人々の暮らしに、圧倒された。
島が生きている。土が動いている。生物の営みの中で、人間は感謝することを忘れない。人間が偉いのではなくて、自然の恩恵を与えてもらえる歓びに、そこでどう生きていくかを教えてくれる。エネルギーの最大限の利用をしている。
金環日蝕。晴れているのに、薄暗い感じがした。不気味な静けさがあった。
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