枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

意思があるということ・・・

2011年08月27日 | Weblog

 生命体での、個人的な意思が存在するという事は、何であろうか。朝がくれば目覚める。お腹が空けば食事を摂る。衣類が汚れれば着替える。或いは清潔感を保つ。破れ、綻びを繕う。排泄をする。体を動かせて働く。姿形での差はあるが、生きるための手段を考える。

 あらゆる生命体において、個々の差はあるには違いないが、生きるための、或いは生活のパターンを本能的に覚えていく。人間は、生まれたばかりでは何もできないが、年齢と共に意思を複雑に操って、楽な方法や、快適な生活へと試行錯誤を続けてきた。

 人間は、育った環境や、構成される家族、地域の関わり方によって、様々な考え方を共有したり、反発したり、性格の違う者が、何等かの衝突や、折れ方をしながら、暮らし向きを支えてきた。だがそこには、独りでの生活ではなく、不特定多数の入り組んだものがある。

 高齢なって気づくのか、そのまま歳を重ねてしまったのかは、本人以外にはわからない。だが、独りになってしまった場合、一緒に生活してくれる者が傍にいなかったら、そのまま生活できる人と、施設に入らざる人とがある。どちらも、自分での選択肢がない場合だが。

 自分が命を終えようとしている時に、静かに逝こうとする人と、その存在を誰かに認めさせたく、最期で悪あがきをする人の差が出る。でも、各々の生き方の違いであって、間違っているのでも、正しいのでもない。当たり前の姿だと思う。それが人間だといえよう。

 誰しも、死ぬのは怖いのだ。生と死を何度も繰り返していながら、記憶にないから怖い。輪廻転生を重ねながら、宇宙の拡張は続いているというのに。自分を悟ることは、その意思に強いものがあってのこと。我を見失わないことか。その域への到達は倫理を超える。

 白枇杷の全景です。木丈は、やっと1.5mになった。年数は、10年目になるか?今年、初めて花芽がつき、実がなったのだ。3個でしたが、甘味も強く美味しかった。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 不安定な状況・・・ | トップ | 不機嫌な洗濯物・・・ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事