森羅万象からの決まり・約束には、天啓が携わる。その事象には手は加えられず、代償が必ずともなう。命は地上に下り肉体に宿りつ使命を果たせば、天に還るもの。願わずであれば適えられるも、その代わりは大きく。
枇杷葉に幾度も難を救われてのこと、自らの命惜しまず。天界の掟、過たず行われること代えられずと覚る。祈り・感謝は無論だが己の心を清めること怠りなく、精進極め戒め心鎮めての暮らし何事にも学び訓え有難くに。
病の根本を身体に留めないこと、気持ち平静に保ち如何なる事象にも傍受する心根の持続也。耳が傷むや視力回復あるを、枇杷葉に援けられ歓ぶ。自らを鎮めて見つめること行えば、訓えられることも多くあるを感謝して。
季節の旬を活かし逃さず、身体は冷やさないで無理も無茶しなくであれば痩せる。自然の摂理に疑い持たないこと、枇杷葉から学ぶ。文字に託した想い、感じれば覚れし繋がり亘り拡がりゆく確信も他人其々の心は無情為。
聖夜には思わずの感が強く、気がかり失せずにアルコール摂らずとしていたが銀杏で飲む。トーランドット観つつ・リュウの独唱、恋しく想えるのも新鮮。誰かを愛せる業に、世の儚さをつくづくと偲び心鎮め至れりとも。
邪まな気持あらば路を逸れ、素直と清らかさ保てば安らかと気づける有難さ。逝く未知の不確かさ、真実に近づくも尚更に遠く離れて為り。物語は続き終わること適わず終生務めていけば、始まりはこの刻と偽らざる想い。
新暦での行く年僅かとなりし、月日の速さに戸惑う。暗闇に立てば、光が観え数多の星に気づく。白龍に乗り宙を翔け、世の移ろい儚くも。
おはようございます。
銀杏をつまみながらのひととき。トウランドッドをききながらリュウの調べに耳をかたむける。
こんな風な静かな時間を持てることが健康で穏やかな一日だと思います。
anazannさんのように枇杷葉や枇杷茶に支えられる大切なものに巡り合う幸せ。
自分なりの心と心身のささえになるものに巡り合うことは大事だと思いますね。
心と心身の安定になるように思います。
今日も寒いですが温かくお過ごし下さいね。
生きてゐれば、喜怒哀楽多々ですが、想いの深さにな術もない時も生じます。
10月・11月と、枇杷葉の花芽が膨らむ度、更新時の記事記載に、指先が打ち進むのに驚愕してました。
夢枕に立つのではなく、心底に諭してくれたのです。
今は未だ、気持ちの整理も納得にも至らず、うろたえるばかりです。
どうしたらいいのかが判らないの。
心の支えを失うこと、今以って彷徨うばかりです。
心温まるコメント、お礼申します。
>枇杷葉... への返信
枇杷に関して、とても詳しいのですね。
何でも、よくご存じの方ですね。
今頃花を咲かせて、初夏にあのまろい、美味しい黄色い実になるんですね。私が幼いころまでは,庭に枇杷の木柿の木もありましたが、今は狭い庭がほんの少しあるくらいです。幼い頃の庭のビワの実の味は忘れられませんね。本当に甘くて美味しかったです♪
懐かしく思い出しました。
アナザン・スターさん、
書き込み有難うございました。
今年はこれを書き納めと致すつもりです。
また、来年もどうぞ宜しくお願い致します。
独りなのもあり、そこに十数本を植えて、生葉や花芽に実の収穫としています。
無農薬なのも有、野鳥が押しかけ狙います。
昨今は、無農薬栽培品は、探してもありません。
虫がいるのは、野鳥が啄んでくれます。
自然の掟でしょうね。
我が家から送らせてもらった物は、あちこちにて活用して下さり、病の症状を治しています。
白内障・緑内障、浮腫みや擦り傷等、エキスも大活躍しています。
植物には、旬の時期があり、それを感謝して用いれること有難くと思えます。
拙ブログへの書き込みも、遠慮なく。
天啓と訓えての事象があり、心に留まったこと記載しております。
行く年へ感謝し、来る年に祈ります。
何時も丁寧に読んで下さり、有難うございます。
何時も 早々のコメント 励ましのコメントに
心温まってます なのに コメント書かずに
ごめんなさい・・・・・ ブログの意味が 余りにも
気高くて 凄いなぁ~~ でも何か 心に残るものは感じますが? 文章には 出来ないんです。
教えられるものは感じます。
どうぞ これからも宜しくお願いします
釈迦の生き方、現象の如何に、天竺までの道程も適わずです。
中々根性も座れません。
不可思議な事象が起きて視えることに、何がしかの意味があるのは確かです。
時に、天からの声に導かれて、文字を綴り文章に至るのです。
何故なのかは不明ですが・・・
アヤさんは天性無垢な方でしょう。
若い時には、さぞやご苦労もなされたことと察しますわ。
想いが相手に通じたり、支障が起きないことの方が稀です。
そういうお気持ちにこそ、真が現れると思えます。
この一年を、恙なく過ごせたことは感謝です。
ありがとうございます。
来る年、どうぞ宜しくお願い致します。