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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

鍼灸・・・

2013年01月21日 | Weblog

 出会いも別れに繋がるのですが、心が引寄せられたり、阿吽の呼吸が生じること、ってあるのですね。鍼灸、というものには抵抗があり、踏ん切りもつかなく迷っていたが、どうにも左肩の痛みが半端でなくなり、激痛に勤務も辛い状態であった。

 だが、休めず。況してや、手抜きはできず。痛みは日に日に激しくなる。現代農業の9月号で、五十肩の治し方に、塩で揉む。というのが載っていた。試しにすると調子が佳い。幾らかは軽減したようで安心していたら、再び激痛が貫く。

 こうなると眠れない。ストレスが溜まる。体調が崩れる。佳いことはない。近場で治療する気にもならず、枇杷葉温圧療法を施行するしかなかった。チャンスは昨年の初冬。上京できる希望ができた。予てより、ブログを見ていた鍼灸に行こう。

 幸いなことに、リエさんがいるし、Aさんの娘さんも。方向オンチの田舎者が、うろうろするより都内は詳しい。湯島天神と鍼灸に決める。Aさんの娘さんは、到着した途端、本屋に連れて行け、何だのという小母さんに付き合う羽目に。

 楽しい集いの後には、試験が待っている。本番に弱いので、落ち着いてできますように。鍼灸で肩凝りが軽くなったこともあり、体が悦んでいる。気持ちを込めて、枇杷葉のエネルギーを借りれたのはよかった。鍼灸・末廣堂さん、ありがとう!

 孫にもらったりささんのサイン。上の孫は、一目見るなり、〇〇先生じゃなくて、娘さんだとわかっていた。なんでわかるの?と問うと、だってハートのマークがないもの。と答える。へえ~、よく見ているんだね。うん、研究しているんだもの。

 上京の土産は、サイン入りの児童書です。息子の同級生のお子さんと、〇〇ちゃんにあげるつもりです。一風変わった土産ですが、一生の宝になりますように。本が好きな子は、情緒豊かな、心のやさしい子どもに育ってくれます。

 月の輝き、木星の煌き。恒星と惑星です。小松左京の『さよならジュピター』。三浦友和主演ではなかったか。

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大寒です。

2013年01月20日 | Weblog

 風は冷たいが、晴天です。あちこちに雪が固まっていて、違和感を覚える東京です。成人の日の大雪は、首都圏を直撃でした。風邪を引いては、と着込んで来てよかった。昨夜は、リエさん家に泊めていただいて、ロイと一緒に寝ました。

 今朝は、リエさんの心尽くしの朝食を頂き、久が原まで鍼灸の治療に行きます。泊めて戴いた割には、何もしない私です。今度、我が家に来てください。サンタさんも、是非に。サンタさんには、美味しい珈琲をもらいました。土産なしでごめんなさい。

 久が原の鍼灸治療院は、りささんのお友達がされているのです。左肩が上がらず、仕事にも支障が出るので、今回突然の訪問です。リエさんと一緒に電車に乗ったのですが、蒲田に『砂の器』を思い出し、乗り過ごしてしまった。

 慌てて蒲田駅から引き返したのですが、違う電車に乗って、Aさんの娘さんとの約束時間には間に合わず、リエさんがタクシーを奮発してくれて、治療院に到着。そこからリエさんは下北沢に。私とAさんの娘さんは、鍼灸での治療です。

 鍼灸って、何しろ初めてです。安心できる、阿吽の呼吸です。治療してもらう時間、リラックスしまくって、とても気持ちがよかったです。肩の凝り、背中、腰痛の痛みが軽減し、体もぽかぽかしてきました。1時間ちょいの時間があっという間です。

 自宅でできるお灸を買ったり、治療院の奥さまとの世間話や、お嬢ちゃまを抱っこさせてもらったりして、Aさんの娘さんの治療を待ち、お昼ご飯をご一緒しました。りささんのご紹介、ということで至れり尽くせり。感謝感激。夏には桃が流れて行くかも。

 お別れする時には、お嬢ちゃまの小さな姿が愛らしくて、何回も手を振りました。新幹線の時間があるので駅に向かい、東京駅の改修に、思わずシャッターを押しました。寒かったけれど外景が見たかったので外に。おおっ!素晴しい。

 新幹線の車中では、ひたすら試験勉強をしておりました。帰りの新幹線からも、くっきりと美しい富士山が見え、青い空に雄大な姿を構え、雪を頭に被ったさまは、実に美しかったです。やはり日本一の富士山です。

 車庫の際にある枇杷葉。どうしようか考えて、リエさんのにしたよ。リエさんの家の枇杷葉は、日陰で立派に育っていました。

 

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針供養・上弦

2013年01月19日 | Weblog

 月が、尚更に冴え、凍てつく宇宙にかかるさまは、なんとも美しい。その光に照らされた枇杷葉の寒々とした姿。自然にあるということを、思い知る時でもある。で、これから出かけます。続きは帰宅してからということになります。

 時間に余裕を持って出、新幹線に乗車して、早々と弁当を買い、車中ではもっぱら試験勉強をしておりました。窓際の席であったので、富士山が見えた時には、携帯での撮影です。見事な雪に眼を瞠りました。青空にそびえていました。

 Aさんの娘さんが改札口に迎えに来てくれ、サインを入れてもらう本と、色紙を買うべく本屋に。そこから湯島天神に行きたい、と言うと、時間的なこともあったので、タクシーに乗りましたが、道路脇の雪に、びっくり仰天!あちこちに見られます。

 湯島天神は、受験生でごった返していて、水で清めて、鉛筆とお守りを買いました。牛も撫でてきました。神社内は、屋台が出ていて賑やかです。雪掻きはしていましたが、雪が積もったままです。ゆっくりもできずまたまたタクシーで移動。

 鬼ヶ島には、赤鬼が多かった。青鬼もいます。でも、節分ではないので、すごく大人しく礼儀的です。鬼の年はよくわかりませんが、高齢者に近い。わたくしめは、わかもとの本を携え、サインをもらうべく、鬼を探しておりました。

 サンタさんと、お嬢さまにお会いできて、手ぶらで行ったのに、お土産をもらって感激。是非、我が家に来てくださいね。りささんには、色紙を書いてもらい、明日の治療のことを聞かれ、Aさんの娘さんと行くことを伝える。

 Mさんにお会いし、母上さまのことを尋ねる。お元気そうでよかった。リエさんは、小柄なわりには顔が広い。あちこちに行っては話しこんでいる。知っている顔も見えるが、食べ物に集中する。アルコールは呑めず、ジュースを舐める。

 そうこうしている内に、2次会に移動。浜さんは、ちょっとのアルコールに弱い。リエさんは結構強いの。3次会は、銀座に行こう、とか言うのを、リエさんと抜ける。市川なので30分かかると言う。それにしても雪が凄い。

 リエさんのご自宅に到着し、ご家族にお会いする。ロイが気になるが、姿を見せない。小1時間程しゃべくって、お風呂に入らせてもらおうと、2階に行ったら、ロイが居た。ちゃんと仕度してくれている布団で眠っていた。

 入浴して、持参した湯たんぽにポットの湯を入れてもらい、ロイの居るベッドに。リエさんが暖房を点けると、プリンターに乗る。その後、暫くして様子を伺い、そっとベッドに上がり、明け方まで足元にうずくまっていた。

 10年目の枇杷葉。最初は、30cm程に育っていたが、枯れてしまった。その後、横から芽が出てき、現在の姿になる。

 

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寒気厳しき折り・・・

2013年01月18日 | Weblog

 雪花のちらつく一日である。色々と言い分はあるらしいが、湿度がない。乾燥し切っている。寒いのは冬であるから、当然とは思うが、寒いの連発。高齢者になると、自分から動くことは希であり、余程のことが無い限りは、じっとしている。

 恐ろしく着込んでいるかと思えば、ちょっと室温を上げると、暑いと服を脱ぐ。個人差が激しい。同時に、誰かが何かを、どうにかしてくれる。とばかりに一向に動かない。体にいいことは、一つもない。無論、荒療法はできません。

 塩で、五十肩を揉み続けて、2ヶ月近い。当時のような、鈍痛もないし呻くようなこともなくなったが、ちょっとした加減で、痛みが走る。自分では気づかなかったが、20日は治療初めに佳い。とあるのに驚く。自分でできる手当てもしている。

 リエさんへのお土産に、花芽茶を3包み作った。剪定した枇杷葉の、室内での咲き方だが、あまり暖かくないので、ゆっくりとである。甘い匂いが鼻腔を擽る。野外だと芳しい香りが漂って、深呼吸をしながら佇むことが多い。

 皸が治った、と思ったら、今度は鼻がいじいじする。鼻水の咬み過ぎだ。昨年までは、鼻の頭が何回も剥けていた。今冬は、塩で洗っているからか無事である。暖房で赤ら顔にもならない。炬燵に入って、足に斑点も出ない。塩・恐るべし。

 最初は、宮古島の雪塩だったが、生協の企画がない。止む得ず、沖縄のしままーすにしている。顔がぱしぱしになる。でも体は温かくなり、夜間に起きることもなくなり、朝までぐっすり。更年期障害で辛い想いをしたが、枇杷葉茶がよかった。

 自律神経失調症に、枇杷葉茶がよく効く。でも、個人差もあるだろうし、身体機能にも影響を及ぼすので、一概に絶対とは云えない。これらは矢張り、始める日にちと自分にあった漢方にされたい。家伝の薬草が一番だ。

 今冬の初め、未だ硬い苞。例年ではこの時期に、満開になるのだが・・・

 

 

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冴える宇宙

2013年01月17日 | Weblog

 帰宅時の宇宙に、東には木星が、南西には月がかかっている。県北は、雪に埋まっていた。日本海側に近いと、こうも違うのかとびっくりする。明日は、早出である。雪のため遭難しても困る。況して、事故は尚更だ。

 寒中の宇宙の美しさは、何にも例えようがない。唯只、見上げるばかり。手袋をはめ、マフラーを首に巻いて、その数多の星を眺める。木枯らしの途絶えた宇宙に、輝く自然の宝石には、その星ぼしの命が光っている。

 今年は、箒星が観れるが、周期的に太陽の周りを廻るのと、偶然に太陽に近づくのとあり、二度とチャンスはない彗星がある。百武彗星は、北の宇宙に長期間いた、規模の大きい彗星だった。夕方の暮れ行く時間から観えていた。

 彗星が通ると、流れ星が活発になるのは、地球が自転と公転をしながら、彗星の通過した気道上に入るから。彗星は、塵を振り撒いていくためで、そこに突入すれば、流れ星も多く観られるというもの。宇宙さえ観ればよく無料です。

 彗星を発見すると、見つけた順に名前がつく。百武彗星は、百武さんが発見して、その名がついた。池谷・関彗星もそうで、ニュースとともに宇宙を見上げた記憶がある。天文に興味がないと、凍てつく宇宙の下での観測は辛い。

 ガリレオが望遠鏡を作ってから、改良され続けてきた。ハッブル宇宙望遠鏡、国立天文台のすばる望遠鏡など、その威力も素晴しい。未知なる世界が観えるのだ。わからないよりは、わかることはいいとは思うが、眺めるだけなのもいい。

 リエさんに、花芽茶を差し上げよう、と1パック作る。剪定したのを、室内に飾ってはいるが、中々咲かない。大寒にならぬと駄目かな。長持ちがするように、水に塩も入れている。枇杷葉は、寒さが苦手だからね。

 今冬の東側の花芽。昨年は12月には咲いていたのだが、寒さが数段違い、震えているようだ。自然は厳しい。

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薮入り・閻魔参り

2013年01月16日 | Weblog

 閻魔さまも今日だけは休む。ということで、奉公人や嫁にとっては、実家に行ける日であった。江戸時代というか、昭和の時代にも、1年365日。休むことは考えてもみず、田畑に出ていたお百姓さん。自然からの声を聴き、農作業を営んでいた。

 日本にある各地のお祭りや、神々への供物、御仏への信心は、そういった者にとって、より代でもあり、生き方にもなっていたのだろう。祖母も年中、田畑に居ており、何が愉しかったのか、と不思議でならなかった。今も、疑問が生じる。

 空を見て、雨が降る。というのも、子ども心にはわからない。指を舐めて立てれば、湿った空気を感じる。と教えられたが、首を傾げるばかりであった。雨の降る前には、鳶が低空飛行するのは、餌の虫が、低い所にいるからだ。

 蝙蝠が、夕方の空を飛んで来るのも、それらしい理由があった。不気味であるし、耳に厭な音波には歯軋りがした。自然の成り立ちには、自然のことを学ばねばわからない。どんな小さな事も、地球にとっては掛替えのない物ばかりだ。

 神に与えられたことも、人間がしてはならないことを、きちんと守れるからだった。してみると現状では、正しいことがわからない。従って、悪しき物も定かではない。価値観の違いはあって当然だが、一線を規する理性はどこだろう。

 原発の事故が、今尚、人々の心の中にあり、放射線への恐怖に苛まれている事実があるのに、新しい基準なら造ろう。とは、開いた口が塞がらぬ。言い逃れだとしか思えない。どういった基準であろうとも、プルトニュームは溜まる一方だ。

 旧暦の行事に遭わせてみて、心の平静を保てたらいい。何を急ぐのか?何を決めるのか?自民党になった、といっても、元々は、自民党が無茶苦茶なことをしてきたからだ。原発推進も借金も、アメリカと結託してやってきたこと。

 名まえは忘れました。繁殖力が旺盛なので植えた。駐車場の方へ伸ばしています。

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天気回復・・・

2013年01月15日 | Weblog

 眩しい朝の光に、天気が回復したことを知る。首都圏や日本海側は、どうなっているか?テレビを観ないのでわからぬ。気温の上昇は、期待できないから、凍結しての事故にならねばいいが、と世間を案じる。風が冷たい。布団の温かさである。

 布団干しを断念して、洗濯だけする。のんびりと朝刊に眼を通し、美味しい珈琲を飲む。朝昼兼用なので、食べたのは昼近い。昨夕は三日月で、山の頂にかかっていた。霞んでいるため、ひどく大きく観えた。その後、再び雨になった。

 小正月。小豆粥を戴くらしい。このところ、雑煮ばかりで凌いでいる。勤務の時には、そうもいかぬので弁当だ。休日には、朝昼兼用と夕食、旬の物をいただき、素材を味わうことをする。一日の疲れを癒すのに枇杷湯に浸かり、塩で揉み出す。

 温泉に行くまでもなく、体調は先ず先ずで、肌も艶やか、滑々している。塩で揉むようになってから痒みが半減し、今のところ治まった。皸にもなるのだが塩を乗せる。痛みはするが、治りの早いのがいい。人間の持つ、自然治癒能力は捨てたものでもない。

 一日、試験勉強をしよう。と計画していたが、孫の迎えが入って中断。学校に2回往復する。下校時間が違うためで、世話である。手洗い・嗽をさせ、お八つを食べさせ、宿題をさせる。祖母ちゃんところは、気持ちが緩むのかふざけが多い。

 低学年の宿題は、余り時間がかからない。だが、高学年ともなるとそうはいかない。何やら難しい顔で取り組んでいる。躓きはこの時期なので、下の孫を手元に呼び、がんこちゃんの本を渡す。退屈するのもわかるがテレビは観ない。

 外の遊びには、こちらがついては行けぬし、遊ぶ場所も狭い。そこでふと思うのは、一昔前には場所などはなく、山にせよ、田圃にせよ、大人たちに怒られながら、何処かしらが遊び場だった。お腹を減らして泥んこになっての帰宅に大目玉だった。

 冬場には、洗濯物は乾かない。着る物も不足になる。靴は、学校での履物であった。汚れて洗えば、履く物はない。それなのに何が楽しくて、面白かったのか、家の中にじっと居るのは病気の子だけである。寒空に跳ね回っていた。

 今冬の茂木枇杷の花芽。東側から撮影。裏の家が見えるが、剪定前の状態。

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大雪・・・

2013年01月14日 | Weblog

 吹雪。ぼたん雪が・・・降るわ、降るわ。横殴りの荒れ模様。勤務先で、テレビに映った有様に仰天してしまう。赤穂浪士が討ち入りをした月です。あの大雪が、吉良上野介を探し出し、大石内蔵助は主君の敵が討てたのだ。今月の25日に当る。

 新暦の1月は、東京、関東方面には、低気圧の関係で大雪が降る。例年間々ある。ここ数年雪に見舞われることが多い。そういった時期に、センター試験が始まるようだ。受験生諸君には、手洗い・嗽の徹底をされ、胃腸に気をつけての受験にされたい。

 ロッカーを開けたら、眼が点になった。昨年は、受験するという3人に、大宰府のご縁で受かりますようにと、手渡した梅のゴーフル。学問の神様『菅原道真公』縁のお菓子であるが、3人とも受かった。梅くゴール、という語呂合わせ。

 咄嗟に頭に浮かんだのは、その3人だが、勤務を終えて電話してみるが、違うと言う。ありゃりゃ誰だろう。それでも、応援してくれているのはわかるから、ありがとうと伝えた。ちょっと気弱になりかかっていたものだから、すごくうれしかったよ。

 最近は、落ちる・滑る・蹴躓く等、焦りと心労に冷や汗が出る。してみると気が小さいのだ。それなのに挑戦しようなど意気込んだのが、間違いであった。国家試験の重圧に、潰れそう。自分を知ることにもなるかと、半分は思うのだが。

 帰宅して、玄関を開けると、漂ってくる枇杷葉の花芽の匂いに、ほっと深呼吸する。雨の降る夕方は、冷え込みが大きい。ジャンバーにマフラーをしたまま、窓のカーテンを閉め、着替えて、洗濯機を回して、夕食を食べた。弁当の残り物。

 洗濯機を替えて、洗いと脱水にだけする。これだとすすぎがいらないし、洗濯物も柔らかい。前日の晩に汲み入れた、風呂の残り湯を使い、洗濯をする。毎日、洗うが汚れてのことではなく、区切りの意味だ。枇杷湯なので、ちくちくしない。

 サンタ枇杷葉の根元。昨年の2回の台風で、少し傾いたので、根が張るまで、色々と置いている。花芽、中々咲かない。

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元の木阿弥

2013年01月13日 | Weblog

 嘘ばっかり。初めから沖縄に、オスプレイを配置する目論見であったのだ。民主党であろうが、なかろうが関係なく、上辺だけの政権で、結局アメリカのいいなりである。何にしても、弱い者が我慢を強いられ、強い者らが影で糸を引くのだ。

 尤も、再登場の首相に至っては、失敗を繰り返さないのではなく、更に酷くなっていく感じがする。見せ掛けのことは、早番に綻びる。継ぎ接ぎだらけの服で、何ができるか。かといって、新調するには予算も赤字という有様だ。その付けが庶民とは。

 幾ら元気で働いていても、年齢がくれば辞めざるを得ない。年金だって、安心して暮せる程には遠い金額。電気代も、ガスも、ガソリン、灯油にしても、安くなるあてはなく上昇するばかり。できる限り、体に着て、その体も鍛えてはいるがおっつかない。

 この状態で、病気になったら・・・考える毎に恐ろしい。自然治癒能力を信じて、自分の体を管理しているとはいえ、年齢と共に無理ができなくなっている。最近は、勤務より休みの方が多い。そうしないと疲労困憊で動けない。給料は減るばかり。

 何かが違っている。何処かしらが狂っているのだ。人間は神ではない。だからこそ、霊長類の最高に位置することができるのだ。何かしら愚かしい行動に、絶句するばかり。ここまで魂がなくなってしまったのか。人が人であるためには、相手を愛することなのに。

 それには、自分を知っており、短所も長所も認めること。受容することは、容易いことではない。相手をそのままに受け入れれば、自分も同じようにしてもらえる。いえいえ、行うのは心のままでも見返りは求めるものではない。辛抱というか耐えるのみ。

 私は、クリスチャンではないが、人として生きていこうとすれば、此処に来て必ず想う。苦しみも哀しみも、耐えてこそ。然るに心が晴れないのは、何処かでその想いを感じてほしいから。だがそれは自己満足でしかない。邪まな心ばかりになる。

 昨日、剪定した枝が、部屋のあちこちで匂っている。玄関、寝室、居間、台所、洗面所。部屋中に飾った。

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旧暦・12月1日

2013年01月12日 | Weblog

 寒さが一段落したような、暖かで風のない日です。3連休でしたが、今日が一番のお天気。布団を干すとふっくらになる。花瓶に活けた枇杷葉も、少し開きそうな気配がする。何となく、心が浮き立つような思い。午後から、ちょっと風が出たようだが、木枯らしはない。

 試験問題が、遅々として覚えられない。歳のせいにはできないが、眠気には勝てない。気持ちが乱れているのだ。落ち着いてしなければ、という思いとは違う、慌てている自分が居るのだ。問題が覚えられないのは、きっと心のゆとりがないから。

 試験問題に、小論文が出れば、確実に点数が取れるのだが、生憎とない。暗記するか、これまでの経歴での積み重ねでやるしかない。子どもの頃から、試験というと緊張して、頭が真っ白になった。なぜかブラックホールに呑み込まれる。

 今年は、巳年だ。巻かれるのはいいが、体内に摂りこまれそうで魘される。以前、車に乗っていて、大蛇に呑まれたことがある。凡そ、天下の公道に、白い大蛇など居そうもないが、はっきりとこの眼で視た。あの赤い燃えるような瞳を忘れようか。

 危害を加えることは無く、生臭い体内に、どれ程の時間居たのかは知れないが、気づいたら道路を走っていた。車も、私も無事だった。それでもその時に視た、妙に歪んだ景色と、朦朧とした感触は、体が覚えている。不思議な体験だった。

 尤も、話したところで、誰も信じてはくれないし、変わり者扱いをされるのがいいところ。龍のことも同じであろう。どんなに説明しても、視て居ない者には、到底わかり得ないだろう。この時も、自分から望んで、遇ったのではない。

 唯、私には荷が重過ぎるのか、そのことを何かに使う気もない。殊更に自分の心を浄化して、素直に正直に生きることしかできない。善行は隠れてせよ、とも謂われるが、行いが正しければ、お天道様を拝められる。神のあることを感謝しよう。

 白枇杷。花芽は、昨年の数倍もついているが、未だ硬く、やっと数弁開きかけた。このまま雪が降らないことを祈る。

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