枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

猫にも分かる?

2018年12月21日 | Weblog

 ジュリーマニアを観ていると、すばるはパソコンに上がって来る。そうして画面に見入っている。沢田研二さんが好きなのである。あ・すばるは雄だから、格好好く観えるのか。暫く見惚れていて、その後満足して丸くなってしまう。いや・そこで寝ないでよと横に退ける。毛布の方にやる。

 こちらは、読書しながら聴いていて、最初の内こそ真剣に観ていたが、場面も覚えてしまったので、本が読める。それにしても、アマゾンには何でもあり、検索の後に購入しているが、沢田研二さん関連のは揃えてしまった。年金生活者のせめてもの贅沢で、これと新聞だけは止めない思い。

 電気代を払えなくなったら困るが、それまでは凌いでいこう。働くのを辞めたら、食事を2食にして、衣類も買わないで、肥らないように心掛けて。出不精なので、ネットでの買い物が殆どである。尤も、田舎の事情では、店もなく、コンビニも最近出来た有様では、買う物もしれているのだ。

 家では、何を着ていても、誰も文句を言わない。破れていようが、温かければそれでよい。コートをくれたのはAさんで、カシミアだと言うが、虫に喰われている。物が物だけに管理が不十分であったのを、肥ったために着られなくなったらしい。こちらも捨てればいいので気が楽でもらった。

 わたくしもコートは持っており、外出時には羽織れる上質なのが数着ある。普段着にも3着はあるので、困ることは無い。最近は肌着も温厚なのが出ていて、これが何とも温かい。セーターを着れば充分であり、だるまになることもなくなった。加えて枇杷葉茶や枇杷湯で、身体は温かいのだ。

 基本は、身体の中からが正解だろう。それまでは病院に行き、医者に罹ることばかりをしていたが、薬や注射はその場凌ぎで、改善されることは無い。自然にすることで、エネルギーを分けて貰い、身体に取り込んでいける。その働きを促すのが、枇杷葉なのだ。継続も莫迦にならないものだ。

 町役場に行ったら、殆どの職員がマスクをしている。これはエアコンのフィルターを、掃除していないと知れる。そこで通草の話をしたら、びっくりしていた。地元の医者は藪なので、注射と薬ばかりだ。風邪を引かないようには、手洗い・嗽しかないようにも思えるが、無精者には無理かな。

 人間には、自分で身体の管理をする能力があるものを、やたらと医者を頼って、無くしている気がしないでもない。まあ、個人の自由だがとも。そろそろ出勤の時間である。すばるのために暖房を点けて、さてさて仕事に行こうか。左の肩が痛いので、生葉を貼って行こう。無事なる帰還を。

 庭の片隅に咲いていたのが、秋になっても密やかに残っていた。自然の生命力の確かさ。

 

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歩いても歩いても

2018年12月20日 | Weblog

 風景が殊の外好かった。日常を撮るのって簡単なようで、平坦になってしまうから難しいのを、自然をさり気なく入れることで、観ていて心が和む。是枝監督の巧さだと思うが、俳優も素晴らしい。再婚も、職なしも、今の世では当たり前のことだが、さらりと言わせることに驚く。いいじゃないの。

 働いたことがないというのは、主婦に対する差別かもしれない。家で毎日遊んでいる訳ではない。収入はないかもしれないが、家事全般をしているのだ。働こうにも、給料を貰おうにも、くれないのだから仕方がない。主婦の家事労働を要求したい。医者であっても、患者が居れば仕事なんだから。

 息子の危篤にも、と妻になじられた父親が、どんな心境でいたかだが。母親の複雑な心には、息子の臨終の際くらい、という想いも分かる。紋黄蝶が入って来ての、母親の異常な行動にも胸を打たれた。そういった感情の食い違いを、青空が、海がすくい上げていく。自然への描写に胸が一杯になる。

 夏の花は、百日紅というのもいいなぁ。白でもなく、紫でもない濃い桃が好い。我が家にも毎夏咲いてくれるが、日本の夏にはよく似あうもの。樹木希林さんの演技にも、存在感があるのに、家族として溶け込んでいる演じ方が上手い。レース編みはプロ級でしょう。誰も知らない、買っておこうかな。

 地名を募集しながら、とんでもない名称に決めた話に、馬鹿だと内心思っていた。新聞を読んでいて、笑いながら涙が出た。そうなんだよね。沖縄の事にしても、民意だの話合いだのを掲げて、辺野古移設を強行に押し進め、沖縄県民の意志を外させ、投票できないように仕向ける。これが安倍政権だ。

 森加計も、きちんと丁寧な説明は愚か、何も解決さえしないままに、有耶無耶に葬る。オリンピックも、遣ってしまえばいいのだとばかりに、予算を膨大に突破させるばかり。万博だって同じでしょう。消費増税も然り。一体国民の血税を何に使う。初めから国会議員の私欲だと、明らかにすればいい。

 今年の一字は、嘘にしたい。災は自然からの警告を、耳に入らないように仕向けた政府かも。人間が太古から行ってきた、天への感謝や祈りを止めさせ、新しい物に走らせ、使わねば損の如く宣伝して、出費を増やす。自動車メーカーの検査も、原発の再稼働にも、私利私欲で突っ張る嘆かわしさだ。

 二十四節気の甘露を過ぎた辺りから、少しづつ室内に仕舞っていく。霜が降りると枯れるので。

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剪定と窓拭きに

2018年12月19日 | Weblog

 本日の予定を、何とか遣り終える。午前中に、枇杷葉の剪定をし、花芽と生葉を採り仕分ける。リエさんのと、しーちゃんに上げるのを入れる。林檎農家さんには、枇杷湯用の乾燥した分と、切って乾燥させるのと、花芽茶を少々入れる。その後友人が来て、珈琲に赤福を添えて今年の無事を。

 窓拭きは表だけをして、中は何時でもできるので後回しに。これも午前中に片付け、友人が帰った後に、フェンスの草取りを、と思ったが、土が湿っていて抜けない。箒で掃くだけにしておく。プランターの捨てるのを、袋に入れて壊す。塵で出すには嵩高になり、入りきらないので踏み壊す。

 普段から、片付けておいても、結構あれこれと用事がある。八つ時になったため止める。リエさんに電話をしなくてはと思いつつ、夕方にずれこむ。ブログの更新を忘れるところであった。図書館で借りた本もあり、休日の時間もあっという間に過ぎる。段取りが悪いが故だが、歳のせいにも。

 すばるのトイレは明日に持ち越す。それにしても、用を済ませた後、手を拭く習慣をしていなかったので、散乱すること夥しい。その都度、雑巾を掛け、箒で掃いていく。躾の大切さを痛感するが、今更遅いと小言を言う。でも、叱られたことは分るらしく逃げるか、捕まれば神妙にしている。

 天気や気温も、すばるを基準にしていれば好く解る。暖かいと、蒲団に潜って来ないし、寒いと早く蒲団を敷いて、と煩く纏いつく。風呂は気になるが、入るのは苦手で飛び退く。こちらは枇杷湯に入り、塩で身体を擦るので、ポカポカして来るし、湯冷めがしなくなった。枇杷葉のお陰です。

 人間の身体は、冷やさないのが基本だと悟る。年寄りの冷や水とも言うが、冬にはお茶も温かいのを飲みたい。これに氷を容れるのは好まないが、勤務先では平気で遣る。薬で調整するのは、人体の機能には合わないことも。自然治癒能力を第一に、薬草を煎じたりが、好いようにも思えるが。

 枇杷葉のお陰で、無駄がないのも確かで、不必要な物には見向きもしない。膝が痛くなることも、踵の皹もなくなり、肌のざらつきも消えてしまった。化粧品もテレビのCMで、衝動買いもしない。頭皮のフケも、あらゆる面での憂いが無くなって、枇杷葉のお陰だ。出費を最低限に抑えるよ。

 すばるの興味を惹くのは、猫だからだが、ゴキブリや蠅である。それらを見つけたらダイビング決行。

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霜月、十方ぐれ入り

2018年12月18日 | Weblog

 年越しまでに2週間もない。月日の目まぐるしさに、付いていけない思いである。朝が迎えられ、一日を無事に過ごせる幸せに、祈り感謝でいる。お正月も、個人的には旧正月でするので、2月になる。来年には節分、立春を過ぎた辺りで、その季節が待たれる。日々の暮らしを大切にして。

 この季節には、お飾りを作る準備に追われ、刈り取った藁のお供えも済ませている。お飾りを作るのは父の役目で、祖母の指導よろしく、難しい顔をしてやる。冬休みは24日か25日で、次の日に必ず山に行く。正月用品の調達には、村の何軒かが連れ立って行く。祖母の後をぞろぞろと。

 近くの山だが、子ども足では有に1時間は掛かる。獣道を駆け上がって行くが、裏白だの松や榊、万両等を探し、適当な大きさのを、山の神さまに断って持ち帰る。従って三隣亡には絶対に入らない約束がある。千振を見つけるのは祖母だけで、新聞紙を懐から出し包んでいた。今はないが。

 昼までには家に帰り、父が仕上げていたお飾りを座敷に持ち込み、橙や昆布も付けていく。家の周りや、苗代、田には、祖母が小さいのを作りおく。甕の回りにはしめ縄を付ける。竈や井戸にも置いていたものだが、田舎でも今日日はしない。伝統行事よりも、クリスマスに転じており寂しい。

 勤務も、手抜きをすればいいのだが、それをするとざわつきが止まない。空気を読むというか、風の動きを見ながらの介護で、相手に寄り添う自分で居たいもの。職員同士の連携も大切で、謂わんとすることを察して動きたい。で、その結果、ヘロヘロのヨロヨロになる。気力も身体も衰え。

 自分の至らなさを痛感するが、年齢には抵抗できない。無駄なことは止めて、他へ回そうと思うが、これが人間の性なのか、喘ぐばかりである。然し、死への時間は決まっていて、どう抗おうとも必ず訪れるもの。介護の仕事には付きもので、そういう際にじたばたするのも、生き方かもね。

 最近は、一日が終えれば佳しで、これ以上の幸せはない。物事も、難しく考えないようにして、命終えるまでを過ごしたいもの。欲も得もなくなれば迎えも来よう。死んだ後の事は関知せずで、一切持ってはいけないのだ。その覚悟が揺れる。それこそ大切にしてきた物、全てを残すことに。

 種を植えて、発芽したのを、3年で移植するが、枯れてしまうのもある。鉢植えは水遣りが。

 

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感謝の心で・・・

2018年12月17日 | Weblog

 瞬く間に、1年が過ぎようとしている。それにしても、ブログを続けられることは、何と有り難いことだろう。途中で、接続不能や、止む無くの機種変更もあったが、略毎日更新出来たことに、我ながら驚くばかり。書くことには抵抗がないので、(日記・つぶやき)中味の問題だけだ。

 暮らしの中に、どんな小さなことにも眼を向け、愉しみを見出し、悲しみも悔しさも辛いことも、誰にでもあることであり、一度には解決できなくてもいいから、ちょっとづつ、変化していけるように努めている。それでも、独りではそうもいかないので、訪問してもらえることが励み。

 枇杷葉との暮らしが、心に潤いを与えてくれ、何気なく元気をくれることも、或いはすばるが居ることで、騒動は起きるが、気が紛れることにもなる。心労に倒れて動けないこともある。リエさんやしーちゃんの気づかいや、勤務先での知人等、日々の中での出来事も多いもの。感謝!

 月が観えれば安堵し、陽射しを浴び、星を眺めての、晴耕雨読が何よりも有り難い。お金は少ないが、それを補って余りある贈り物もうれしい。出来ることや、さり気なさが行えれば尚好しで、これにはお金は掛からない。森羅万象への祈りと感謝に、一日が過ぎていくのも愉しみでも。

 本日は、半勤であったので、燃料を補充して帰宅する。時雨で花芽茶が出来ない。次々に開花する花芽に、そこら中が香る。今年は、ローションとお茶で堪能。リエさんに送ろうと、晴れるのを待っている。生活が年金暮らしになれば、そうもいかなくなるので、今の内にしておきたいものだ。

 蜜蜂が寒さに震えて、室内に入り込んでいるのを、すばるが目敏く見つけて、遊ぼうとちょっかいを出している。洗濯物に引っ付いていたらしい。暖房が点いているので、居心地は良さそうだが、すばるの爪が狙っている。昨年には湯たんぽだけだったから、今年は贅沢なことである。電気代。

 銀座の珈琲が切れそうで、注文しておく。何時もの定期便は、隔月にしてあるが、つい美味しくて飲む。安いのや他社のもあるが、味と風味でこちらにしてしまう。お正月が怪しくなったので、多めに注文した。これも贅沢なことだが、他を節約しているので、これだけは続けたい。美味しい。

 駐車場の出入り口、海棠の木と一緒にあるリエさんの、枇杷葉。きっちり9年目に苞が付いた。

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動作がゆっくりに・・・

2018年12月16日 | Weblog

 最近の動作に、我ながら驚く。急いでいる程ではないが、それでもゆっくりではないと、おもっていたのを、時計の進み方が早い。あれぇ、こんな時間になっている、という有り様だ。寒いからだけではないようで、動作がとろくなってきた。何よりも転倒を防ぐようにしているからだ。

 車も、安全運転が一番で、遅刻は避けるが、制限速度を守る。それでも相手のあることでもあり、気をつけていても危ない。要は乗らねばいいのである。勤務を辞めたら、返納したいもの。保険の金額もだが、判断能力が衰えてきて、咄嗟の動作に迷う。こうなったら事故につながるよ。

 そろそろ掃除に取り掛からねばならない。普段には拭き掃除をしていても、外回りが後回しで、フェンスの場所や、回りができないのだ。次の休みで遣ろうと計画中。木香バラと、草抜きがある。剪定もあちこち遣ろう。リエさんに花芽を贈ろうと採っているが、寒くなって咲かないの。

 長崎茂木は、既に咲いて終わったのや、これからのもあるが、満開を過ぎた。暁子さんのも咲き終わった。りささんのがやっとなのと、りえさんのがこれからかな?しーちゃんのは、結実しないので採った。西側のと、東のを待っているので、それからにする予定。歳も押し迫る頃だ。

 今年は、厄災の多い年であったが、それでも元気で過せたことは有り難い。枇杷葉のお陰であり、心構えも問われる。それにしても、無償の奉仕には、自分の満足感しかないが、見返りを求めるにも、報酬の出処がない。せっせとゴムを入れ替え、ほつれを縫っている。もったいないよ。

 職場に、修繕した衣類を持って行くと、家族に依頼するので、個人からの物品代だと言う。遠くの家族や、面会に来ない方も居るので、繕っているのだが、わたくしが辞めれば、そりゃ困るわ。でも、そんな訳にもいかないでしょう。品数も余っているものでもなし。買えばいいのかな。

 世知辛い世の中であり、情の欠片もない家族もいるのだ。四角四面の行政でなく、様々なあり方があっていいように、取り組んでいけないものか。金を払えばいいとかでなく、買えば済むということでもない。何だか哀しい。昔のように、あちこちで助け合いがされ、当たり前の世界に。

 リエさん枇杷葉。生りだして3年目になるが、出来不出来があるようです。品種は忘れた。

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霜月、上弦・小潮

2018年12月15日 | Weblog

 今年の、ふたご座流星群は観測条件も好く、たくさんの流れ星が観られた。小さいのはまるで線香花火で、流れ星と分かるのは、数分経てば飛ぶ、という数で堪能した。昨夜も、かなりの数が観え、市内まで観劇に行って帰り、少し眠ってから真夜中に観望した。遅いので自宅で。

 知人の所は、小学校で天体観測の行事があり、親子で観望したらしいが、母親の実家は山の中なので、30分に10個は観えたと言う。何れも、興味を持って観ようとする者には、自然は与えてくれる。テレビで賑やかに言うことでもなく、こういうことは密かにしたいものでも有る。

 沖縄の辺野古への土砂投入を、政府の石頭は、アメリカのご機嫌を取るばかりで、対話は愚か、きちんと向き合っての遣り方ではない。民意も何も無かったように、沖縄が悪く言われているが、小泉政権の時に、うやむやにされてのことだ。これほどに理不尽極まる無謀なことも否。

 普通に考えるに、或る日突然、ここは政府の物だから、あっちに移ってくれないか、と言われて、はいそうですか。と素直に行くのか。無論金銭的な事は一説無く、闇雲に早急に出て行け。と脅されてしまったら?その内に、書類を持って来られて、ここに署名がしてあるからとも。

 立ち退きを余儀なくされて、半信半疑で新しい場所に行けば、後に偽書類であったことや、その土地に政府の重要な物が隠されてあった。然し、本人は知らずに亡くなり、何時しか事実も曲げられてしまう。政府の陰謀の裏にはアメリカとの取引が、密かに行われていたが嘘で固める。

 ヨシタケシンスケ 理由があります。鼻をほじるのが止められない子にも、ちゃんとした理由のあることが楽しい。そうよね、そういうのもあるんだね。他の理由も考えてみよう。タイガースのサリーこと、岸部一徳さんが、GSが槍玉に上がった時、僕達は素敵な大人になりたいと。

 誰しも子どもであり、時代の流れを変えることは、その時の状況如何でもある。何時までも続く物は存在しない。形有る物は壊れ、様々な要因と環境で、人間は変化する。心も同じで、認知症状にも色んな状態があるのだ。介護職としてよりも、人間との相性の良し悪しかもしれない。

 すばるのトイレと餌を、買いに行って来なければ、留守中の心配が増える。昨日の服をクリーニングに出すのもある。出不精の横着者でもあるが、誰も変わってはくれないので。気温がさっぱり上がらずで寒い。懐炉を着けて行こう。年末だからと散財しては来月が厳しいので締めよう。

 昨年、フェンスの側のが初めて咲いて結実した。今年は、夏の暑さにやられて、葉が焼けてしまった。

 

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スケジュールでは

2018年12月14日 | Weblog

 年末になって、大慌てにならなくてもいいようには、常日頃から気をつけてはいる。それでも、拭き掃除や、洗濯の類は、やはり日々のことでもある。洗濯機を二層式にしてから、洗いと濯ぎに脱水で済む。そんなにたくさんでもないので、さっさと片付く。乾燥には、暖房を点けていれば済む。

 大雪にもなったことで、すばるの寒がりに点けるが、同じなら加湿にもなるので、物干しを持ち込む。観葉植物も置いてあるので、設定温度は下げている。それに部屋の狭さで、充分暖かいもの。身体にもしっかりと着ているので、震え込む程でもない。有り難いことである。贅沢な環境に感謝。

 勤務先には、設定温度を高くして、半袖で業務をする者もいるが、どうにもついていけない。気づけば直ぐに温度を下げていく。冬は寒いのが当たり前であり、身に衣類を纏って過すので、身体機能を損なう恐れも出て来る。幾ら医者に罹り、薬を呑もうが治らない。食べ物で調整しつつ生活を。

 年間所得が幾ら増えても、また低所得の者を救済の措置を講じても、結果的には消費税の負担は変わらない。庶民への課税が増していくだけの構造だ。一体に誰が得をするのか、一目瞭然であろう。そもそもは、小泉内閣での行いの付けが、響いてきている現実に直面する。辺野古移設もそうだ。

 それでも、沖縄の人等には人権も、何もなく、諦めの気持ちと、憤怒が湧き上げるのは、余りにも切り捨ての現状を、理解しようとする者の少なさだ。幼い時に、間違ったことはしないのよ。と教えられなかったのだ。何が、粛々と行うのか、その本質は判っていない。ジャン・バルジャンだ。

 沖縄が、琉球と言われていた頃に、戻せるものなら還して。せめて、島民の権利だけは復元させたい。これでは、人としての最低限度の権利さえ剥奪している。同じ人間として、恥ずかしく情けなく哀しい。日本だけでしょう。真実の声が届かない国会は!デモも、そっちで勝手にやればである。

 悪が後を絶たなく横行している。その手本は、国会議員だ。事の良し悪しを教える者が、してはならない事を、平気でするとは、言葉が出て来ない。警察も教師も、質が落ちたものだ。大学は、選り好みで合格させるし、学ぶ真意すら怪しい。図書館に入ってくる書籍にさえ、いい加減な著作も。

 四季咲きなので、春夏秋冬にと思ったが、そうでもないのにがっかりしたが、命は宿る。

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自分勝手・・・

2018年12月13日 | Weblog

 土壇場になって、体調を崩して、勤務変更になれば、迷惑なことが分からないのだろうか?特に夜勤はおいそれとは代われない。体調管理が大切なのは尤もだが、生身の身体でもあるので、絶対というのも難しい。然し乍ら、むち打ちを軽く考え、整骨院に通院というのだけでは無理。

 枇杷葉の生葉を持って行き、足の裏に敷くように促す。くすぐったいだの、なんたらのとぶーぶう言うていたが、その効き目に驚いていた。勤務も半勤で治療に行くと帰る有り様だ。自分勝手というか迷惑なのだが、本人は気づかない。身体を治すのが前提でしょう。治療に専念して。

 早出勤務も、その日の出勤者にも依る。スムーズに業務が出来ると、憂いが少なくなる。大きな声は無論だが、神経を苛立たせることもない。トイレにも行ってもらえるので疲労も少ない。本日は、関東一本締めである。明るい内に帰宅できるのはいいが、朝は冷たく眠いものでもある。

 帰宅したら、すばるがちょっとご機嫌斜めである。ちゃんと暖房を点けていたのに、何が気に入らないんだ?カーテンが少し開いているのは、ここでお利巧にしていたらしい。コロコロで塵を取っていく。あっちにこっちにトイレの砂が散らばっている。雑巾を置いているのにわざと?

 擦り寄って膝に乗る。何か不都合があるらしく、そういう甘え方をしてくる。抱っこをせがむので懐に入れてやる。猫と言えども、未だ小さいのだから、半端でなく甘えて来る。可愛いのであり、愛着も湧く。最近は、名前を呼ぶ声のトーンや、調子でこちらの機嫌を推し量るのも賢い。

 クリスマスは、誰のためにあるのか?世界中の子どもために??いえいえ、大人にもあるのです。クリスマスキャロルを、読んでみよう。チャールズ・デェケンズが作者だが、あれは何気ない物がプレゼントに変わることや、その結果が、思いがけない自分に返ってくるのかもしれないね。

 何気ない暮らしができ、一日が無事に過ごせる幸せにも、きっと真実が隠されているし、祈りが通じれば、感謝もできるもの。碧い地球に、戦争のない時間の戻ることを祈って止まない。神さまはいないけれども、信仰もないけれども、自分の心の中にきっと存在している。愛という形で。

 四季の移り変わりの中で、枇杷葉は何時も葉を、青々と繁らせている。腰痛に肩凝りや汗疹にも。

 

 

 

 

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蜜蜂も・・・

2018年12月12日 | Weblog

 寒さが急だったので、蜜蜂が服に止まって、室内に紛れ込んでいるのを、すばるがちょっかいをかける。瀕死の状態のに、触るのでぐったりして、抗う術もない有り様である。放っておくとカーテンを引き破るので、この寒空にと思いつつ放す。箱に入れて囲いをすればいいのだが。

 今朝は早出。まあ、寒いのは覚悟しているので平気。何だかんだと業務をこなし、帰宅時間が近づいてやれやれである。図書館に寄って、ヨシタケシンスケを借りる。憲兵の書籍も来ており、重さに不安に陥る。駐車場の枇杷葉を、十数枚採っておく。むち打ちに効くので持って行く。

 箪笥の肥やしになっているよりは、着てもらったのがいいか、と話してみれば、困惑した顔をする。いやいや、当時に数万で買ったのだから、物は良いのよ。でも、着る機会がとんとなくて、箪笥の中で樟ぶっている。色がね、白なのよ。そんでサイズがMなので、誰でもは着られない。

 コートはブルーとブラックがある。普段使いのもたくさんあって、着るのに悩む。以前には移動に、電車を使っていたからで、今は車があるのと、暖房の効いた場所にも、直ぐに移動できる。星を観る以外では必要はない。加えて外出する機会も、冬場はぐんと減って、出掛けないから。

 そろそろ、終活の時期も近いし、断捨離の心境にも至る。書籍は、図書館と職場の本好きに持って行く段取り。然し何と言っても、衣類はサイズとデザインであり、地味な色で、オーソドックスなスタイル。小物でアレンジすれば、生地が好いからと思うが、クリーニングを嫌う始末に。

 ここ2ヶ月の間に、ウエストが戻ったので、7号が着られて安堵している。油断すると苦しくなってくる。普段着に下して着ておくことも考えている。捨てられないので、これが一番困るのだよ。今晩も、枇杷葉に入って塩で擦ろう。根気あるのみ、努力次第で、元のサイズに返るのよ。

 リリーフランキーの、東京タワーが届く。樹木希林さんのを買う。娘さんが、若い頃を演じているんだ。次は、もりの居る場所、歩いても歩いても、膿より深くも予定に入れる。監督も、女優さんにも拘りがあるので、少しづつ買っていこう。正月の休みの予定を立てるのも愉しいもの。

 すばるの小さな体が、あっちにこっちに動く。思わず、眼がまわって踏んでしまう程だ。何かいたんだ。

 

 

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