今日は、穏やかな天気だ。体調もようやく戻ってきた。
天声人語から
~暮れに86歳で亡くなった高峰さんは、映画が最大の娯楽だった時代の、文字通りの大女優だった。「虚像と実像は仲が悪く……」とは本人の言だ。だが、間(はざま)で人知れず格闘する誠実さは、隠し味のような魅力でもあったろう。「高峰秀子にとっての真の作品とは『高峰秀子』だったのではあるまいか」は、作家沢木耕太郎さんの評である。
~女優を50代で退き、エッセーに自伝に文才を振るってきた。老いながら静かないい顔に近づきたい、というのが晩年の思いだったと聞く。叶(かな)えての旅立ちだったろう。昭和がまた遠ざかる。 ~
「老いながら静かないい顔に近づく」、美人美男でなくてもなれるものかわからないが、目指す方向として持っておきたい言葉だ。
今年は、どうも新年早々から、いいことがないので、厄除けを兼ねて「初詣」に行くことした。正月4日というのに、道明寺天満宮は、まだお参りの人が多い。やはり受験シーズンで天満宮人気は凄いものがある。私は、本殿に向かい、家内安全、無病息災を祈る。
天満宮ということもあり、境内の一角に紅梅の鉢があり、既に花がほころび始めているのには驚いた。
おみくじをひくと「中吉」。病気 心を豊かにしておれば回復も早いとある。「心豊かにしておくというのは、どうすることか?」と自問してみると、ハタとためらってしまうものがある。
人は、自分のしたいことをしていると、楽しさや幸せを感じ、「豊かさ」を感じることもある。しかし、それは「心の豊かさ」とは少し違うであろう。
あるいは、まわりにやさしくする、一日一善、弱いものを助ける、あるいは物を追い求めず精神の安寧を求める、質素・倹約、こう考えをめぐらしていくと、限りなく中野孝次の「清貧」の世界へ行きつく。
しかし、あまり難しく考えすぎると身動きが取れなくなってしまう。分かりやすく言えば、一日が終わるとき、誰かに喜んでもらうことをしたかどうか、一日を大切に生きたかどうか、このあたりがヒントになるかな。私の病気の回復もなかなか簡単にはいかないもののようだ。