(続き)
前項で展覧会の企画について疑問を呈したが、出品作はさすがに粒ぞろいだった。以前、ブリヂストン美術館に立ち寄った際に見たり、画集などで目にしたりした記憶のある作品も多かった。
しかも、2館で同時開催というのは珍しい。
道立近代美術館は西洋絵画50点に加え、青木繁と藤島武二の重要文化財が2点ずつ。
三岸好太郎美術館は近代日本絵画24点。三岸の代表作は、最近オープンした黄色い壁の部屋に収められていた。
三岸の作品は、特別展の規模によって展示点数が増減するのだが、今回はこれまでで最も少ない部類だと思う。
片っ端から感想を述べたいところだが、いくつか気になった作品について書く。
モネ「黄昏、ヴェネツィア」
印象主義の巨匠モネが1908年、イタリアのベネチアを訪れた際の産物。左のシルエットは、サン・ジョルジョ・マジョーレ教会らしい。
とにかく色が美しい。こんなにうっとりとさせられる絵画もあまりないだろう。
水平線に近い方から順に、あかね色、黄色、緑、青…とうつろう空。それを反射する海面。
燃える夕焼けに吸い込まれそうだ。
注目したのは、実際に見ると、きれいで澄んだ色ばかりが使われているわけではないこと。かなり濁った色班もあちこちに配されている。
むしろ、ところどころに濁った色があるからこそ、遠くから絵を眺めれば、ヴァルールがうまく表現できていると感じられるのではないだろうか。
シスレー「サン=マメス六月の朝」
これが絵だよなあ、と思う。
いまさら言うまでもないけれど、写真発明後の絵画は、対象を忠実に描写する役割を失った分、自由になった。
その延長線上に抽象絵画もあるわけだが、具象絵画は、対象をデフォルメして、あるいは省筆で描く分、鑑賞する側が想像力で補って見るようになる。それは、写真が、特定の日時にどうしても紐つけられるのに対して、絵画がむしろ自由と、幅広い共感を獲得したわけだ。それは、写真ではなくあえてイラストレーションを使うときに、大きな効果をもたらす。
この絵では、道の大半が、右側の家並みの影におおわれている。にもかかわらず、暗い感じがしない。
影が左に伸びているということは、絵の手前側が南であり、左の川は(フランス北部なので)奥へと流れていることになる。つまり、川に浮かぶ船は、流れにさからわずに進んでいることになる。
印象派のなかでもシスレーとピサロはとりわけ、写真以後の絵画を、もっとも的確に展開しているように思う。写真ではないのに、人々の記憶と感覚にマッチする描法を、身につけているからだろう。
青木繁「海の幸」
新「三大・実物を見ると意外に小さくて驚く名画」のひとつ。
ちなみに、あとの二つは「モナリザ」と、ダリの時計が砂漠で溶けてるやつである。筆者が選んだ(笑)。
前に見たときも思ったが、完成前に放棄されたような絵である。構図を取るために引いた横線が消されずに残っている。同時出品の「わだつみのいろこの宮」のほうがはるかに「完成してる感」が強い。
もっと謎なのは、中央手前の人物。顔が白塗りのようで、筆者はひそかに「志村けん」と呼んでいる人物だが、彼の脚の部分の輪郭線が異様に濃くひかれている。これはどういうことなのだろう。
グロッス「プロムナード」
まるで教科書のような正統派のフランス中心史観で流れがつくられている展示室だが、おしまいに戦間期ドイツのノイエ・ザッハリッヒカイトの絵画が登場するのが興味深い。「芸術のための芸術」を軸とした美術史の最後の最後にこの絵をもってきたということに、ちょっとおもしろみを感じた。戦争の荒廃やハイパーインフレーションなど経済の混乱、ファシズムの予感-といった時代の不安がにじむ群像画だ。
そういう絵についての文章で技法的なことに言及するのもおかしな話だが、この絵に動きのようなものを感じるのは、人物たちが縦長に描かれているのに対し(街路で歩いているのだから当然だが)、下地の絵の具が斜めのストロークで描かれているからだろう。
黒田清輝「ブレハの少女」
この絵は初めて見た。ちょっと驚いた。
黒田清輝が日本の近代絵画の父というべき存在であることはいうまでもない。また、フランスで習った師匠が、伝統的なアカデミスムに印象主義を加えた折衷主義者であったことが、その後の日本洋画史に悪影響を与えたという批判もしばしばなされており、代表作「湖畔」や、今展に出品されている「針仕事」などは、その文脈で語られることも多かった。
そんな画家が、フォービスムを思わせる、これほどまでに激しいタッチの絵を描いていたとは!
タッチはあらっぽく、表情の描写も速い筆でなされている。
「湖畔」「読書」の穏やかな表情の女性とは対照的だ。
壁に落ちた影が黒々としていることもあって、少女や黄色い布の存在感は、筆の荒さに流されない確固たるものがある。
黒田の力量を、あらためて感じた。
この絵は1891年、フランス北西部のサンマロ湾の島を訪れたときのもので、いわゆるフォービスムの出現より10年以上も早い。
いいかげん長くなってきたが、あと、小出楢重「帽子をかぶった自画像」と藤田嗣治「ドルドーニュの家」については、稿を改めて述べたい。
なお、画像は複製画のサイトからコピペしました。
2018年4月21日(土)~6月24日(日)午前9時半~午後5時
道立近代美術館(札幌市中央区北1西17)と道立三岸好太郎美術館(札幌市中央区北2西15)
□公式サイト http://event.hokkaido-np.co.jp/bridgestone/
□公式ツイッター @bridgestonetenS
前項で展覧会の企画について疑問を呈したが、出品作はさすがに粒ぞろいだった。以前、ブリヂストン美術館に立ち寄った際に見たり、画集などで目にしたりした記憶のある作品も多かった。
しかも、2館で同時開催というのは珍しい。
道立近代美術館は西洋絵画50点に加え、青木繁と藤島武二の重要文化財が2点ずつ。
三岸好太郎美術館は近代日本絵画24点。三岸の代表作は、最近オープンした黄色い壁の部屋に収められていた。
三岸の作品は、特別展の規模によって展示点数が増減するのだが、今回はこれまでで最も少ない部類だと思う。
片っ端から感想を述べたいところだが、いくつか気になった作品について書く。
モネ「黄昏、ヴェネツィア」
印象主義の巨匠モネが1908年、イタリアのベネチアを訪れた際の産物。左のシルエットは、サン・ジョルジョ・マジョーレ教会らしい。
とにかく色が美しい。こんなにうっとりとさせられる絵画もあまりないだろう。
水平線に近い方から順に、あかね色、黄色、緑、青…とうつろう空。それを反射する海面。
燃える夕焼けに吸い込まれそうだ。
注目したのは、実際に見ると、きれいで澄んだ色ばかりが使われているわけではないこと。かなり濁った色班もあちこちに配されている。
むしろ、ところどころに濁った色があるからこそ、遠くから絵を眺めれば、ヴァルールがうまく表現できていると感じられるのではないだろうか。
シスレー「サン=マメス六月の朝」
これが絵だよなあ、と思う。
いまさら言うまでもないけれど、写真発明後の絵画は、対象を忠実に描写する役割を失った分、自由になった。
その延長線上に抽象絵画もあるわけだが、具象絵画は、対象をデフォルメして、あるいは省筆で描く分、鑑賞する側が想像力で補って見るようになる。それは、写真が、特定の日時にどうしても紐つけられるのに対して、絵画がむしろ自由と、幅広い共感を獲得したわけだ。それは、写真ではなくあえてイラストレーションを使うときに、大きな効果をもたらす。
この絵では、道の大半が、右側の家並みの影におおわれている。にもかかわらず、暗い感じがしない。
影が左に伸びているということは、絵の手前側が南であり、左の川は(フランス北部なので)奥へと流れていることになる。つまり、川に浮かぶ船は、流れにさからわずに進んでいることになる。
印象派のなかでもシスレーとピサロはとりわけ、写真以後の絵画を、もっとも的確に展開しているように思う。写真ではないのに、人々の記憶と感覚にマッチする描法を、身につけているからだろう。
青木繁「海の幸」
新「三大・実物を見ると意外に小さくて驚く名画」のひとつ。
ちなみに、あとの二つは「モナリザ」と、ダリの時計が砂漠で溶けてるやつである。筆者が選んだ(笑)。
前に見たときも思ったが、完成前に放棄されたような絵である。構図を取るために引いた横線が消されずに残っている。同時出品の「わだつみのいろこの宮」のほうがはるかに「完成してる感」が強い。
もっと謎なのは、中央手前の人物。顔が白塗りのようで、筆者はひそかに「志村けん」と呼んでいる人物だが、彼の脚の部分の輪郭線が異様に濃くひかれている。これはどういうことなのだろう。
グロッス「プロムナード」
まるで教科書のような正統派のフランス中心史観で流れがつくられている展示室だが、おしまいに戦間期ドイツのノイエ・ザッハリッヒカイトの絵画が登場するのが興味深い。「芸術のための芸術」を軸とした美術史の最後の最後にこの絵をもってきたということに、ちょっとおもしろみを感じた。戦争の荒廃やハイパーインフレーションなど経済の混乱、ファシズムの予感-といった時代の不安がにじむ群像画だ。
そういう絵についての文章で技法的なことに言及するのもおかしな話だが、この絵に動きのようなものを感じるのは、人物たちが縦長に描かれているのに対し(街路で歩いているのだから当然だが)、下地の絵の具が斜めのストロークで描かれているからだろう。
黒田清輝「ブレハの少女」
この絵は初めて見た。ちょっと驚いた。
黒田清輝が日本の近代絵画の父というべき存在であることはいうまでもない。また、フランスで習った師匠が、伝統的なアカデミスムに印象主義を加えた折衷主義者であったことが、その後の日本洋画史に悪影響を与えたという批判もしばしばなされており、代表作「湖畔」や、今展に出品されている「針仕事」などは、その文脈で語られることも多かった。
そんな画家が、フォービスムを思わせる、これほどまでに激しいタッチの絵を描いていたとは!
タッチはあらっぽく、表情の描写も速い筆でなされている。
「湖畔」「読書」の穏やかな表情の女性とは対照的だ。
壁に落ちた影が黒々としていることもあって、少女や黄色い布の存在感は、筆の荒さに流されない確固たるものがある。
黒田の力量を、あらためて感じた。
この絵は1891年、フランス北西部のサンマロ湾の島を訪れたときのもので、いわゆるフォービスムの出現より10年以上も早い。
いいかげん長くなってきたが、あと、小出楢重「帽子をかぶった自画像」と藤田嗣治「ドルドーニュの家」については、稿を改めて述べたい。
なお、画像は複製画のサイトからコピペしました。
2018年4月21日(土)~6月24日(日)午前9時半~午後5時
道立近代美術館(札幌市中央区北1西17)と道立三岸好太郎美術館(札幌市中央区北2西15)
□公式サイト http://event.hokkaido-np.co.jp/bridgestone/
□公式ツイッター @bridgestonetenS