(承前)
ハミングロードを西へずっと歩くと、白糠町役場があります。
その正面に向かって右側に、台座に載った胸像が設置されています。
武骨で彫りのふかい、意思の強そうな風貌は、いかにも明治生まれの老人らしさを漂わせます。
北海道デジタル彫刻美術館やブログ「かけらを集める。(仮)」などインターネット検索ではヒットせず、生前に出版された『米坂ヒデノリの世界』巻末の詳しい年譜にも記載がありません。
(ブログ「ロミオ研究室(別室)」には画像が載っていますが、作者は不明となっています)
筆者もノーマークで、米坂さんがこのような仕事をしているのは知りませんでした。
米坂ヒデノリ(1933~2016)は北海道を代表する彫刻家のひとりですが、出身はとなりの釧路なので、当時新進気鋭の若手彫刻家に仕事がきたのでしょうか。
台座には次のように刻まれています。
ルビは筆者が加えました。
なお、台座の題名も町村知事の手になるものです。
画像に見える建物は白糠町役場です。
彫像の背後に回ると「ヒデノリ」のサインがありました。
どうやら1964年の設置のようです。
青木金吾が名誉町民第1号となるのは翌65年のことです(白糠町のサイト「むかしむかし白糠」より)。
なお「青木金吾」で検索すると、Wikipedia に、1890年(明治23年)生まれ、1984年歿。蘂取村長、生田原村長、興部村長、白糠町長を歴任した旨が記されています。
蘂取村は択捉島の最北端で、青木が村長に就任したのは1933年。生田原村(現遠軽町生田原)、興部村(現興部町)はいずれもオホーツク管内です。
過去の関連記事へのリンク
米坂ヒデノリさん死去(釧路、彫刻家)
米坂ヒデノリ「啓示」 釧路の野外彫刻(43)
創作の軌跡映す彫刻30点 米坂ヒデノリさんが郷土釧路市教委に寄託
釧路市民文化会館のレストランが再開
米坂ヒデノリ「凍原」 釧路の野外彫刻(27)
米坂ヒデノリ「青年の像」 釧路の野外彫刻(26)
米坂ヒデノリ「少女の頭像」 釧路の野外彫刻(25)
彫刻家・米坂ヒデノリさんが釧路管内白糠町庶路にアトリエ(2011年8月)
米坂ヒデノリ「送り火」 釧路の野外彫刻 (18)
米坂ヒデノリ「防雪林」 釧路の野外彫刻(17)
米坂ヒデノリ「母と子」 釧路の野外彫刻(16)
大滝と洞爺湖畔へ(続き)=三松正夫像
■米坂ヒデノリ個展(2006年)
■米坂ヒデノリ個展 (2005年、画像なし)
■米坂ヒデノリ彫刻展(コタンコロカムイ)(2003年、6月6日の項。画像なし)
■アートスタジオ紅緒展 (2002年、画像なし)
■2002自由美術北海道グループ展
■米坂ヒデノリ個展(2000年)=12月13日の項
ハミングロードを西へずっと歩くと、白糠町役場があります。
その正面に向かって右側に、台座に載った胸像が設置されています。
武骨で彫りのふかい、意思の強そうな風貌は、いかにも明治生まれの老人らしさを漂わせます。
北海道デジタル彫刻美術館やブログ「かけらを集める。(仮)」などインターネット検索ではヒットせず、生前に出版された『米坂ヒデノリの世界』巻末の詳しい年譜にも記載がありません。
(ブログ「ロミオ研究室(別室)」には画像が載っていますが、作者は不明となっています)
筆者もノーマークで、米坂さんがこのような仕事をしているのは知りませんでした。
米坂ヒデノリ(1933~2016)は北海道を代表する彫刻家のひとりですが、出身はとなりの釧路なので、当時新進気鋭の若手彫刻家に仕事がきたのでしょうか。
台座には次のように刻まれています。
青木金吾氏は昭和二十二年、民選初の白糠村長と
してその職を奉じて以来一身の毀誉褒貶を顧みず、
四期十六年間に亘ってひたすら郷土の繁栄と住民
福祉の向上に献身、その半生を町発展の礎石に捧ぐ。
就中、国鉄白糠線の建設、漁港、河川の改修、さらに
無形文化財白糠駒踊りの振興保存など、本道開
発と郷土文化の振興に寄与した功績は特筆す
べくここに開基八十周年を迎えるに当って藍
綬褒章受章の栄誉を讃え、その功績を敬仰し
てこの像を建つ。
昭和三十九年十月五日
北海道知事 町村金五
ルビは筆者が加えました。
なお、台座の題名も町村知事の手になるものです。
画像に見える建物は白糠町役場です。
彫像の背後に回ると「ヒデノリ」のサインがありました。
どうやら1964年の設置のようです。
青木金吾が名誉町民第1号となるのは翌65年のことです(白糠町のサイト「むかしむかし白糠」より)。
なお「青木金吾」で検索すると、Wikipedia に、1890年(明治23年)生まれ、1984年歿。蘂取村長、生田原村長、興部村長、白糠町長を歴任した旨が記されています。
蘂取村は択捉島の最北端で、青木が村長に就任したのは1933年。生田原村(現遠軽町生田原)、興部村(現興部町)はいずれもオホーツク管内です。
過去の関連記事へのリンク
米坂ヒデノリさん死去(釧路、彫刻家)
米坂ヒデノリ「啓示」 釧路の野外彫刻(43)
創作の軌跡映す彫刻30点 米坂ヒデノリさんが郷土釧路市教委に寄託
釧路市民文化会館のレストランが再開
米坂ヒデノリ「凍原」 釧路の野外彫刻(27)
米坂ヒデノリ「青年の像」 釧路の野外彫刻(26)
米坂ヒデノリ「少女の頭像」 釧路の野外彫刻(25)
彫刻家・米坂ヒデノリさんが釧路管内白糠町庶路にアトリエ(2011年8月)
米坂ヒデノリ「送り火」 釧路の野外彫刻 (18)
米坂ヒデノリ「防雪林」 釧路の野外彫刻(17)
米坂ヒデノリ「母と子」 釧路の野外彫刻(16)
大滝と洞爺湖畔へ(続き)=三松正夫像
■米坂ヒデノリ個展(2006年)
■米坂ヒデノリ個展 (2005年、画像なし)
■米坂ヒデノリ彫刻展(コタンコロカムイ)(2003年、6月6日の項。画像なし)
■アートスタジオ紅緒展 (2002年、画像なし)
■2002自由美術北海道グループ展
■米坂ヒデノリ個展(2000年)=12月13日の項
(この項続く)