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米坂ヒデノリ「青木金吾翁像」●白糠町の野外彫刻(3)~2024年12月、釧路へ(26)

2025年01月12日 11時21分10秒 | 街角と道端のアート
(承前)

 ハミングロードを西へずっと歩くと、白糠町役場があります。
 その正面に向かって右側に、台座に載った胸像が設置されています。

 武骨で彫りのふかい、意思の強そうな風貌は、いかにも明治生まれの老人らしさを漂わせます。
 
 
 北海道デジタル彫刻美術館やブログ「かけらを集める。(仮)」などインターネット検索ではヒットせず、生前に出版された『米坂ヒデノリの世界』巻末の詳しい年譜にも記載がありません。
(ブログ「ロミオ研究室(別室)」には画像が載っていますが、作者は不明となっています)

 筆者もノーマークで、米坂さんがこのような仕事をしているのは知りませんでした。
 米坂ヒデノリ(1933~2016)は北海道を代表する彫刻家のひとりですが、出身はとなりの釧路なので、当時新進気鋭の若手彫刻家に仕事がきたのでしょうか。

 台座には次のように刻まれています。

青木金吾氏は昭和二十二年、民選初の白糠村長と
してその職を奉じて以来一身の毀誉褒貶 き よ ほうへんを顧みず、
四期十六年間にわたってひたすら郷土の繁栄と住民
福祉の向上に献身、その半生を町発展の礎石に捧ぐ。
就中なかんずく、国鉄白糠線の建設、漁港、河川の改修、さらに
無形文化財白糠駒踊りの振興保存など、本道開
発と郷土文化の振興に寄与した功績は特筆す
べくここに開基八十周年を迎えるにあたって藍
綬褒章受章の栄誉をたたえ、その功績を敬仰し
てこの像を建つ。
   昭和三十九年十月五日
      北海道知事 町村金五    
 
 ルビは筆者が加えました。
 なお、台座の題名も町村知事の手になるものです。
 



 画像に見える建物は白糠町役場です。
 
 
 彫像の背後に回ると「ヒデノリ」のサインがありました。
 どうやら1964年の設置のようです。
 青木金吾が名誉町民第1号となるのは翌65年のことです(白糠町のサイト「むかしむかし白糠」より)。

 なお「青木金吾」で検索すると、Wikipedia に、1890年(明治23年)生まれ、1984年歿。蘂取しべとろ村長、生田原村長、興部村長、白糠町長を歴任した旨が記されています。
 蘂取村は択捉島の最北端で、青木が村長に就任したのは1933年。生田原村(現遠軽町生田原)、興部村(現興部町)はいずれもオホーツク管内です。


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