毎日、読売は当地では2010年9月19日、朝日は1日遅れて20日付に掲載されていました。
毎日新聞の記事がいちばん記者の思い入れが感じられるので、引用させていただきます。
(引用終わり)
言うまでもなく中原悌二郎賞は旭川市が主催している賞です。
受賞作家なので、もちろん、中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館には彼の作品「GARONNEの旅から」が所蔵されています。
もちろん「蟻の城」などの代表作は忘れられないのですが、札幌の美術ファンにとって向井良吉の存在がたいせつなのは、札幌芸術の森野外美術館の入り口にあるシンボルレリーフが彼の手になるものだからです。
行動美術の彫刻も建畠覚造が逝き、向井良吉が死去となると、ほんとうにひとつの時代が終わったのだなと思います。
ご冥福をお祈りします。
関聨ファイル
■建畠覚造さん死去
毎日新聞の記事がいちばん記者の思い入れが感じられるので、引用させていただきます。
戦後の抽象彫刻の第一人者で武蔵野美術大名誉教授の向井良吉(むかい・りょうきち)さんが、4日に亡くなったことが分かった。92歳。葬儀は近親者で済ませた。しのぶ会を後日開く。
京都市出身。東京美術学校(現東京芸大)彫刻科卒。ラバウルから復員後、行動美術協会に参加、素材の質感を生かした繊細なフォルムで注目を浴びた。自身の戦争体験を重ねた「蟻(あり)の城」で高村光太郎賞に輝いたほか、現代日本美術展神奈川県立近代美術館賞、中原悌二郎賞など受賞多数。マネキン制作会社を設立し、現代日本彫刻展(現・UBEビエンナーレ、山口県宇部市)の運営にも携わるなど、社会とのつながりを持ち続けた。勲四等旭日小綬章受章。洋画家の故向井潤吉は兄。
(引用終わり)
言うまでもなく中原悌二郎賞は旭川市が主催している賞です。
受賞作家なので、もちろん、中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館には彼の作品「GARONNEの旅から」が所蔵されています。
もちろん「蟻の城」などの代表作は忘れられないのですが、札幌の美術ファンにとって向井良吉の存在がたいせつなのは、札幌芸術の森野外美術館の入り口にあるシンボルレリーフが彼の手になるものだからです。
行動美術の彫刻も建畠覚造が逝き、向井良吉が死去となると、ほんとうにひとつの時代が終わったのだなと思います。
ご冥福をお祈りします。
関聨ファイル
■建畠覚造さん死去