![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/e5/099ae0466ab3789c273fe79949f2cd8b.jpg)
(承前)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/e6/ed77d7266e21a9b91f52a45a19e73d97.jpg)
亀井勝一郎は函館出身の文芸評論家である。
昭和を代表する評論家のひとりといって差し支えないと思うが、小林秀雄がいまも読まれ論じられているのにくらべ、亀井のほうは、書店の文庫本の棚にも「大和古寺風物詩」くらいしかなく、やや忘れられた存在になりつつある。
彼の生誕地は、大きな伽藍を有する東本願寺のすぐ前にあり、碑が立っている。
道を挟んですぐ隣には、カトリックの教会堂がある。
すぐそばにはハリストス正教会もあり、まさに彼の幼年時代が、函館らしいコスモポリタニズムに彩られていたのだということを、実感できた。
亀井勝一郎は大正期に青春期をおくり、その後、日本の知識階級を襲ったマルクス主義の暴風をまともにくらった。逮捕され獄中で転向、伝統主義に近づいた人である。
或る意味で20世紀の日本の知識人の、典型的なコースともみえるのだが、しかし、そこに、日本では相当特殊な、函館の国際的環境が、影響しているのではないだろうか。
さて、これまで書き続けてきた2009年の函館をめぐるエントリはこれでいったん終了にします。
長いあいだ、ありがとうございました。
私がまだ「美術」といふ言葉を知らなかつた頃、一番最初に接したのは聖母マリア像であつた。少年時代のことだ。私の故郷(函館)の生家の隣りがローマ・カトリック教会堂で、その庭の洞窟の中や屋根の上や堂内に、様々な姿のマリア像が佇立してゐた。
(亀井勝一郎「私の美術遍歴」13ページ)
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亀井勝一郎は函館出身の文芸評論家である。
昭和を代表する評論家のひとりといって差し支えないと思うが、小林秀雄がいまも読まれ論じられているのにくらべ、亀井のほうは、書店の文庫本の棚にも「大和古寺風物詩」くらいしかなく、やや忘れられた存在になりつつある。
彼の生誕地は、大きな伽藍を有する東本願寺のすぐ前にあり、碑が立っている。
道を挟んですぐ隣には、カトリックの教会堂がある。
すぐそばにはハリストス正教会もあり、まさに彼の幼年時代が、函館らしいコスモポリタニズムに彩られていたのだということを、実感できた。
亀井勝一郎は大正期に青春期をおくり、その後、日本の知識階級を襲ったマルクス主義の暴風をまともにくらった。逮捕され獄中で転向、伝統主義に近づいた人である。
或る意味で20世紀の日本の知識人の、典型的なコースともみえるのだが、しかし、そこに、日本では相当特殊な、函館の国際的環境が、影響しているのではないだろうか。
さて、これまで書き続けてきた2009年の函館をめぐるエントリはこれでいったん終了にします。
長いあいだ、ありがとうございました。
に、三木露風の詩碑がありますね。1920年頃、
日本文学の講師になり、修道院に滞在していたようです。その頃を思って作詞した「赤とんぼ」は有名ですね。
伊達市にもそのような場所がありますが、乾町に行ってきました。
磯の匂いを吸い込んで、頭と心のチグハグを
海風にさらして心地よい、
暖かくなったら、また行こうと思っています。
こんにちは。
三木露風といえば修道院で、砂田友治さんの絵を思い出します。
>根保孝栄石塚邦男さん
今から見ると、函館も小樽も古いマチですが、戦前期はむしろ時代の先端を行く町だったがゆえに、亀井勝一郎と伊藤整を生んだのだと考えることもできると思います。
苫小牧って、ある意味、すごく未来的というか、新開地っぽいですよね。自分は行くたびにウィリアム・エグルストンの乾いたカラー写真を思い出します。
展示を見たような気がしますが、きちんと観ていないと思います。
「展覧会の紹介さくいん」。とても助かっています。索引を作るのに面倒な作業と思いますが。
「展覧会さくいん」は、ごく一部の時期しか網羅しておらず、お恥ずかしい限りです。
当ブログ内であれば右カラムの検索窓を使ってください。
本館内であれば、検索エンジン(googleやgoo)で
site:www5b.biglobe.ne.jp ●●●
と入れていただくとかなり絞り込めます。
>根保孝栄石塚邦男さん
遠藤ミマンさんと砂田さんは強固な造形志向(思考)の面で共通しているところがあるかもしれないですね。
遠藤未満さんが一番影響を受けたのは、時代の画家で、身近には国松登さんでした。砂田さんもそうでしたが、色重ねでは砂田さんの影響、構成では国松さんの影響が大きいとおもいます。
ミマンさんにとって国松さんは国展の先輩ですから、やはり吸収するところは大きかったのではないかと思います。