9日朝、新聞を読んでいたら「おくやみ」面に鮫島惇一郎さんの名があった。
筆者としては、鮫島さんといえば、朝比奈英三さんとともに編者として名を連ねた『札幌から見える山』(北海道大学図書刊行会)である。
1981年に刊行され、地方出版としては珍しいベストセラーになった。
円山、藻岩山、手稲山ぐらいは、たいていの市民が知っている。
それ以外の、百松沢山(三段山)、空沼岳、恵庭岳、風不死岳といった、札幌の中心部から見える山々や、見えないけれどハイカーには知られた八剣山など、計20座を、写真と絵、文章で平易に紹介したのが、好評を博したのだろう。
百松沢山(三段山)の存在は、ちょっと気になるし、べつに知らなくても日常生活には困らないけれど、そういうことを教えてくれる本があるのは、なんだかうれしい。
刊行のタイミングも良かったのだと思う。
この本が出た1981年頃、よその土地から来た少女が、藻岩山から札幌市街地を眺めて
「おとぎの国みたい」
と感嘆したことを、筆者は知っている。
赤や青、緑のトタン屋根が並ぶ景観は、たしかに本州以南の都市には見られないものだった。
現在の札幌では、山鼻地区などあちらこちらに高層住宅が建ち並んでしまい、なかなか山が見えなくなってきた。藻岩山から見下ろしても、マンションと称される建物ばかりで、色とりどりの屋根はほとんど確認できない。
それはさておき、鮫島さんはエッセーの名手であり、植物画もよくした。
2015年に有島記念館(後志管内ニセコ町)で開かれた植物画展は、筆者も見に行っている。
坂本直行さんらとともに、山歩きとスケッチのサークルである「歩歩の会」をつくり、アートスペース201で時々グループ展を開いていた。
ちなみに「札幌から見える山」で絵を描いているのは、「歩歩の会」の次のメンバーである。
円山 松山忠弘
三角山 五十嵐吉行
藻岩山 佐藤秀子
砥石山 太丸梅吉
百松沢山(三段山)野田四郎
手稲山 松山隆子
神威岳・烏帽子岳 勝海美江
八剣山 久万田敏夫
札幌岳 八鍬利郎
空沼岳 鮫島惇一郎
天狗岳(定山渓天狗)中畑和夫
無意根山 西島康三
余市岳 井後幸太郎
恵庭岳 今村朋信
樽前山・風不死岳 増渕法之
夕張岳 坂本直行
芦別岳 八木健三
ピンネシリ 鮫島和子
暑寒別岳 原田富弥
ご冥福をお祈りします。
最後に、北海道新聞デジタル( https://www.hokkaido-np.co.jp/article/960922/)から一部を引用します。
筆者としては、鮫島さんといえば、朝比奈英三さんとともに編者として名を連ねた『札幌から見える山』(北海道大学図書刊行会)である。
1981年に刊行され、地方出版としては珍しいベストセラーになった。
円山、藻岩山、手稲山ぐらいは、たいていの市民が知っている。
それ以外の、百松沢山(三段山)、空沼岳、恵庭岳、風不死岳といった、札幌の中心部から見える山々や、見えないけれどハイカーには知られた八剣山など、計20座を、写真と絵、文章で平易に紹介したのが、好評を博したのだろう。
百松沢山(三段山)の存在は、ちょっと気になるし、べつに知らなくても日常生活には困らないけれど、そういうことを教えてくれる本があるのは、なんだかうれしい。
刊行のタイミングも良かったのだと思う。
この本が出た1981年頃、よその土地から来た少女が、藻岩山から札幌市街地を眺めて
「おとぎの国みたい」
と感嘆したことを、筆者は知っている。
赤や青、緑のトタン屋根が並ぶ景観は、たしかに本州以南の都市には見られないものだった。
現在の札幌では、山鼻地区などあちらこちらに高層住宅が建ち並んでしまい、なかなか山が見えなくなってきた。藻岩山から見下ろしても、マンションと称される建物ばかりで、色とりどりの屋根はほとんど確認できない。
それはさておき、鮫島さんはエッセーの名手であり、植物画もよくした。
2015年に有島記念館(後志管内ニセコ町)で開かれた植物画展は、筆者も見に行っている。
坂本直行さんらとともに、山歩きとスケッチのサークルである「歩歩の会」をつくり、アートスペース201で時々グループ展を開いていた。
ちなみに「札幌から見える山」で絵を描いているのは、「歩歩の会」の次のメンバーである。
円山 松山忠弘
三角山 五十嵐吉行
藻岩山 佐藤秀子
砥石山 太丸梅吉
百松沢山(三段山)野田四郎
手稲山 松山隆子
神威岳・烏帽子岳 勝海美江
八剣山 久万田敏夫
札幌岳 八鍬利郎
空沼岳 鮫島惇一郎
天狗岳(定山渓天狗)中畑和夫
無意根山 西島康三
余市岳 井後幸太郎
恵庭岳 今村朋信
樽前山・風不死岳 増渕法之
夕張岳 坂本直行
芦別岳 八木健三
ピンネシリ 鮫島和子
暑寒別岳 原田富弥
ご冥福をお祈りします。
最後に、北海道新聞デジタル( https://www.hokkaido-np.co.jp/article/960922/)から一部を引用します。
(前半略)
北大大学院修了後に同大理学部助手となり、1956年から85年まで林業試験場北海道支場(現・森林総合研究所北海道支所)に勤務。妻の和子さん(札学院大名誉教授、故人)とエンレイソウ研究に打ち込み61年、夫婦で農学博士号を取得した。画家の坂本直行さん(故人)らと大雪縦貫道路反対運動など自然保護活動に携わり、76年から江別市で「自然環境研究室」を主宰。(以下略)