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■山内透 展 (2024年4月26日~5月5日、札幌)

2024年05月29日 19時30分00秒 | 展覧会の紹介-絵画、版画、イラスト
 遠藤彰子展の初日、大勢の人が会場に訪れていた中で、山内透さんから個展の案内状を手渡されました。
 個人的な話をすると、実は肌にボツボツができていたり、小さなへこみや穴が無数にあいていたりするのが、非常に苦手です。高所恐怖症や尖端恐怖症のようなもので、ボツボツへの嫌悪感が物心ついたときから強いのです。「フォビア」と言っても良いでしょう。
 したがって、自分にとっては山内さんの絵というのは、こういう言い方はたいへん申し訳ないのですが、不快以外の何者でもありません。
 でもちょっと考えると、これって逆にすごいことではないでしょうか。
 人に不快感を与える絵や図像というのは、手短に言うとほとんどが「血」と「性」に関係しているといえそうです。人や動物を傷つけ血を流させる残酷な図像や、露骨に性欲をかきたてる図像です。これに、人物を侮辱する種類のものを加えてもいいかもしれません。
 山内さんの絵は、そのいずれにもまったくあてはまりません。
 それでいて、見る人を気持ち悪くさせるのです。

 いささか言い過ぎました。
 実は山内さんの絵は、高く評価されています。
 多摩美大を卒業する際は「福沢一郎賞」を受賞しました。
 さらに、シェル美術賞や二紀展、昭和会展でも受賞を果たしています。
 俗に言う「日の丸構図」。真っ正面を向いた顔だけというモチーフ(肩から下はほとんど描かれない)。動感のまったくなく変化に乏しいモチーフ…。
 絵を習う人たちが「してはいけません」と先生から言われそうなことを、ことごとく実行しています。
 各展覧会で審査する側は言葉に詰まったのではないでしょうか。
 にもかかわらず、これらの作品が、単なる初心者の失敗作と一線を画しているのは一目瞭然です。つまり、ちゃんと「絵になっている」と感じられるのです。
 それがなぜかを言語化して説明するのは非常に難しい。
 単に「ほかの絵とは異なっているから」という理由だけではないはずです(異なっているのも評価の一因だとは思いますが)。
 「自分の劣等感ときちっと向き合っている」ともいえそうですが、それだけでもなさそうですし、だいたい「ひげが濃い」とかは、筆者にはそれほど深刻に悩む事情でもないように感じます。
 また、写真のように精緻に描き込む人物画や、マニエリスティックにさまざまなモティーフを盛り込んで他の絵との差異化を図る絵画があふれている現状では、単純極まりない、しかし抽象画でもない、髪の短い男が正面を向いた自画像が、それらに対して見事なアンチテーゼになっているのも確かでしょう。「うまい絵」「細かい絵」が並ぶ展覧会の会場では目立つことは請け合いです。
 しかし、山内さんの絵を説明する決め手になるかといえば、どうもそうではなさそうです。

 山内さんは多摩美大で大学院を修了しています。
 油絵の技法については習得しているでしょうから、例えば一見平坦に塗りつぶしているように見える背景も、下地をきちっと塗るなど、絵画として見せる技は仕込んであるはずです。
 いったい、どこが絵のキモなのか。魅力の焦点になっているのだろうか。
 じっと見つめて解き明かしたいところですが、自分には山内さんの絵に見入ることはできません。
 冒頭で述べたように、生理的に耐えがたいほど気持ち悪いのです。
 ごめんなさい。

 筆者にとって山内さんの絵は、永遠の謎として残されそうです。
 

2024年4月26日(金)~5月5日(日)午前11時~午後6時(最終日~5時)、火・水曜休み
ギャラリー門馬(札幌市中央区旭ケ丘2)

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