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田中まゆみさん(札幌の美術家)の遺作

2019年09月09日 18時19分15秒 | 情報・おしらせ
 第64回新道展(2019年8月28日~9月6日、札幌市民ギャラリー)に行ったら、昨年亡くなった会員の田中まゆみさんの遺作が展示されていた。

 田中さんは1948年、札幌生まれ。
 図録に後藤和司さんが寄せた文章に寄ると、以前は、緻密な具象画を制作していたらしい。
 しかし、田中まゆみさんといえば、1994年に新道展に設けられたインスタレーション部門をリードする作家のひとりという印象が強い。
 とりわけ90年代から21世紀初めには、大小の卵形を敷き詰めた中に、テレビモニターを配した大型作品を設置し、一般的な団体公募展の枠をはみ出したスケール感に加え、重厚さを醸し出した作品で、新道展にはなくてはならない存在だった。
 新道展のインスタレーションは、彼女と、阿地信美智(退会)、全道展から転じた林教司(故人)の3氏によって特徴づけられていたといっても過言ではないだろう。

 タイトルは毎年同じだった。
「Mémento Mori」。(é は e の上にアクサンテギュ付き)
 日本語にすると
「死を思え」。
 あるいは
「死を忘れるなかれ」。
 自分も明日にでも死ぬかもしれないのだから、それを忘れずにしっかり生きろーというぐらいの意味だろうか。
 病名などは聞いていないが、田中まゆみさんは、持っていた松葉杖が途中から車いすになり、晩年には酸素ボンベを抱えて新道展の業務をしていた。
 そういう人の発するメッセージとしては、ずいぶんと重い。
 逃げられない感じがする。

 ただ、ご本人はいたって明るい方だった。
 筆者が最初に会ったのは1996年。
 当時から筆者はおっちょこちょいで、新道展の会場である札幌市民ギャラリーの住所を間違えて「中央区南2西6」と新聞に書いてしまったため、ギャラリーにいた新道展の関係者に陳謝に出向いた。そのとき、応対してくれたのが田中まゆみさんで、気にしなくていい―と言ってくれたのだった。
 あと、忘れられないのは
一原有徳さんのエピソード 」(2010)
という記事にも書いたが、一原さん、田中まゆみさんと3人で、かつて北2西2にあった喫茶ケルンというお店に入ったこと。どうして、こんなふしぎな顔ぶれになったのかは、いまとなっては思い出せないが。

 さびしいなあ。 
 ご冥福をお祈りいたします。


 以下、図録にあった年譜。スペルミスと思われるものは直しました。

1983年 第28回新道展北海道新聞社賞 会友推挙
 84年 自由美術展佳作作家賞(東京都美術館)/第29回新道展 会員推挙
 85年 自由美術展佳作作家賞/個展(大同ギャラリー)
 93年 個展(札幌時計台ギャラリー。~98年)
 94年 Pacific Rim Art Now '94(小樽市民ギャラリー)
 97年 Sapporo Art Annual '97(札幌・リーセント美術館)/私の一点展(札幌・山の手ギャラリー)
 98年 第43回新道展かおる賞
 99年 Northern Exposure(サンノゼコンテンポラリーギャラリー)
2004年 ウェルカム to わくわくプロジェクト展(夕張市美術館)
 05年 新道展50周年記念展(道立近代美術館)


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