(承前)
最後(といっても、米坂ヒデノリ「凍原」のエントリの執筆がまだなんだけど)は、ふたたび釧路市阿寒町に戻る。
これを野外彫刻に数えていいのか、われながら疑問が残るが、いわゆる記念碑からはかけ離れた大きさと形状である。
とにかく大きい。
高さは5メートルではきかないと思う。
この地域の開拓の始まりは、1887年(明治20年)、雪裡に阿寒郡各戸長役場を設置したこと。
阿寒町には、1889年に入植が始まり、1898年に舌辛に戸長役場を移転、1913年(大正2年)に二級町村制施行で、舌辛村が成立した。
1937年(昭和12年)、鶴居村を分村。
同年、舌辛村を阿寒村と改称。
1957年、町政施行。
2005年に釧路市、音別町と合併し、新しい釧路市が発足となった。
役場があったあたりは、阿寒湖から相当離れているが、国立公園やマリモで有名な阿寒の名をつけたのだろう。
正直、どうしてここが市街地なのか、地形的にはあんまり特徴が無い。
また、戦前から戦後にかけては、町内の雄別炭鉱が栄え、町の人口は2万人ほどに達した時期もあった。
合併時の人口は6000人台だった。
最後(といっても、米坂ヒデノリ「凍原」のエントリの執筆がまだなんだけど)は、ふたたび釧路市阿寒町に戻る。
これを野外彫刻に数えていいのか、われながら疑問が残るが、いわゆる記念碑からはかけ離れた大きさと形状である。
とにかく大きい。
高さは5メートルではきかないと思う。
この地域の開拓の始まりは、1887年(明治20年)、雪裡に阿寒郡各戸長役場を設置したこと。
阿寒町には、1889年に入植が始まり、1898年に舌辛に戸長役場を移転、1913年(大正2年)に二級町村制施行で、舌辛村が成立した。
1937年(昭和12年)、鶴居村を分村。
同年、舌辛村を阿寒村と改称。
1957年、町政施行。
2005年に釧路市、音別町と合併し、新しい釧路市が発足となった。
役場があったあたりは、阿寒湖から相当離れているが、国立公園やマリモで有名な阿寒の名をつけたのだろう。
正直、どうしてここが市街地なのか、地形的にはあんまり特徴が無い。
また、戦前から戦後にかけては、町内の雄別炭鉱が栄え、町の人口は2万人ほどに達した時期もあった。
合併時の人口は6000人台だった。