(承前)
ふたたび買物公園を離れ、こんどは旭川市役所の前へ。
市役所前の広場に立っているのが、この「青年像」です。
旭川市の野外彫刻第1号といわれます。
「旭川野外彫刻たんさくマップ」によると、190 × 57 × 60センチのブロンズ製。
鳥のふんにやられることも多く、市民ボランティアの清掃が欠かせないそうです。
1961年に旭川で第10回日本青年会議所全国大会が開かれたことを記念して、旭川青年会議所から旭川市に寄贈されたものとのこと。
同年の制作です。
一糸まとわぬ、筋骨隆々たる若い男性の裸体です。
少しうつむき加減で、右手で何かを固く握りしめています。
腰をちょっと引き、右ひざを少し曲げて後ろに引いています。
右足のかかとは、台座から浮いた形となり、これが腰のわずかなひねりとともに、この男性像に、静かな動感と意思のようなものを与える効果を挙げています。
うつむいた頭部は、横から見るとちょっと影のある表情をつくっていますが、冒頭画像のようにやや遠くから視点をとれば、ぐっと握ったこぶしとともに、青年らしい意欲や意思が伝わってくるようです。
握りこぶしの全裸男性といえば、ミケランジェロの「ダビデ」を思い出します。
あの像もそうですが、ちょっと目のやり場に困りますね(苦笑)。
作者の新田実については、ネットで検索しても、旭川市関連以外にはあまり情報が出てきません。
このブログでも何度もお世話になっている旭川叢書『あさひかわと彫刻』によると、かつて旭川市文化賞や小熊秀雄賞の正賞に新田実の彫刻が贈られていたそうです。
(小熊秀雄賞は、旭川ゆかりの詩人を記念して、すぐれた詩集に毎年贈られている賞)
同書の174ページには、次のようにあります。
漢数字は洋数字に改めました。
旭川師範学校は現在の北海道教育大旭川校、東京美術学校は戦後の東京藝大です。
なお、留萌市民文化誌「波灯」に、新田実の評伝が連載されていたらしいのですが、いまは見ることがかなわないので、いつか読むことができたらと思っています。
建て替えの方向が固まっている市役所庁舎ですが、たぶん良い建築なのでしょう。
ただ、筆者は建築にはまったく暗いので、ここでは触れません。
ふたたび買物公園を離れ、こんどは旭川市役所の前へ。
市役所前の広場に立っているのが、この「青年像」です。
旭川市の野外彫刻第1号といわれます。
「旭川野外彫刻たんさくマップ」によると、190 × 57 × 60センチのブロンズ製。
鳥のふんにやられることも多く、市民ボランティアの清掃が欠かせないそうです。
1961年に旭川で第10回日本青年会議所全国大会が開かれたことを記念して、旭川青年会議所から旭川市に寄贈されたものとのこと。
同年の制作です。
一糸まとわぬ、筋骨隆々たる若い男性の裸体です。
少しうつむき加減で、右手で何かを固く握りしめています。
腰をちょっと引き、右ひざを少し曲げて後ろに引いています。
右足のかかとは、台座から浮いた形となり、これが腰のわずかなひねりとともに、この男性像に、静かな動感と意思のようなものを与える効果を挙げています。
うつむいた頭部は、横から見るとちょっと影のある表情をつくっていますが、冒頭画像のようにやや遠くから視点をとれば、ぐっと握ったこぶしとともに、青年らしい意欲や意思が伝わってくるようです。
握りこぶしの全裸男性といえば、ミケランジェロの「ダビデ」を思い出します。
あの像もそうですが、ちょっと目のやり場に困りますね(苦笑)。
作者の新田実については、ネットで検索しても、旭川市関連以外にはあまり情報が出てきません。
このブログでも何度もお世話になっている旭川叢書『あさひかわと彫刻』によると、かつて旭川市文化賞や小熊秀雄賞の正賞に新田実の彫刻が贈られていたそうです。
(小熊秀雄賞は、旭川ゆかりの詩人を記念して、すぐれた詩集に毎年贈られている賞)
同書の174ページには、次のようにあります。
新田実は明治42年(1909年)に宮城県で生まれ、室蘭で育ち、旭川師範学校を卒業後、東京美術学校で学んでいる。同期に中原悌二郎賞選考委員の柳原義達がいた。昭和10年(1935年)道展会員になり、昭和22年(1947年)日展に出品した「立像」で特選を受けている。昭和24年(1949年)、自由美術協会彫刻部の創設にかかわり、同会会員として作家活動を行っている。現代日本美術展、日本国際美術展などにも出品している。旭川とのつながりが深く、市内に新田作品を所蔵している人も多い。平成元年(1989年)に亡くなっている。
漢数字は洋数字に改めました。
旭川師範学校は現在の北海道教育大旭川校、東京美術学校は戦後の東京藝大です。
なお、留萌市民文化誌「波灯」に、新田実の評伝が連載されていたらしいのですが、いまは見ることがかなわないので、いつか読むことができたらと思っています。
建て替えの方向が固まっている市役所庁舎ですが、たぶん良い建築なのでしょう。
ただ、筆者は建築にはまったく暗いので、ここでは触れません。
(この項続く)